現代のクラウゼヴィッツ研究
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「戦争論」の記事における「現代のクラウゼヴィッツ研究」の解説
第二次世界大戦後の研究で、クラウゼヴィッツの解釈者たちの思想の系譜やクラウゼヴィッツの思想についての再評価が進められている。 1963年のカール・シュミットによる『パルチザンの理論』ではクラウゼヴィッツをレーニンや毛沢東などのマルクス主義を背景とする戦争理論の思想史の出発点に位置づけている。1976年にフランスの哲学者レイモン・アロンは『戦争を考える クラウゼヴィッツ』は戦後の戦争に関する議論の中でクラウゼヴィッツを再評価した。 さらに1979年にハンス=ウルリヒ・ヴェーラーによる論文『ドイツ戦争学説の退廃〈絶対〉戦争から〈総力〉戦争へ、或いはクラウゼヴィッツからルーデンドルフへ』においてクラウゼヴィッツの絶対戦争の議論では政治が大規模化また強力化すれば戦争もまたそのようになり、最終的に絶対戦争となると論じられる。この議論にはルーデンドルフの全面戦争との接点が認められるが、本質的には異なる概念であり、ルーデンドルフはクラウゼヴィッツの政治と戦争の関係を逆転させたと論じた研究である。 またアロンの議論に反論する立場からギリシアの学者パナヨティス・コンディリスはドイツ語で『戦争の理論 クラウゼヴィッツ、マルクス、エンゲルス、レーニン』を1988年に発表し、戦争論を内在的に理解しようとする思想研究で業績を残した。コンディリスによれば政治目的と戦争が政治的交渉という地平を共有しているが、政治の継続としての戦争という定式を逆転することはできない。 2001年に発表されたアンドレアス・ヘルベルク=ローテの大学教授資格取得論文『謎としてのクラウゼヴィッツ』では『戦争論』が未完であるために多くの謎が含まれており、クラウゼヴィッツが戦争の謎を新規に定式化したのかを論じている。ヘルベルクはクラウゼヴィッツの思想の変化に着目して前期のクラウゼヴィッツが三つの相互作用によって戦争における暴力の極大使用を重視しているが、後期になると戦争を制約する政治の可能性について関心を向けたことが論じられている。
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