珍プレーなど
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1982年4月24日の大洋戦(横浜)ではユニフォームを忘れたため、背番号77をつけていた飯田幸夫コーチから借りて試合に出場した。相手チームの野次の中、宇野はその試合で本塁打を放った。 1984年5月5日の大洋戦(横浜)では、ライトへの浅いフライを打ち、ライトの高木由一の落球エラーで出塁したものの、ハーフウェーで打球の行方を追って待機していた一塁走者の大島康徳を見向きもせずに追い抜いてアウトになり、やはり年末の『プロ野球珍プレー・好プレー大賞』に大きく取り上げられることとなった。ちなみに前述のヘディング直後にボールを拾いに行ったのも大島である。 各局の珍プレー番組では、宇野のエラーやミス、動作や所作を集めた特集が毎回のように組まれるようになり、本人は毎回の如く紹介されるのを嫌がっているが、著書『ヘディング男のハチャメチャ人生』では「(ヘディングは)やって良かった。感謝している」と書いている。 2000年の「勇者のスタジアム・プロ野球好珍プレー」(日本テレビ)では、20世紀の珍プレーランキング2位に輝いた(1位は達川光男)。司会の江川卓から「宇野選手にとって、珍プレーとは?」と聞かれ、「他人のは面白いですね」とコメントしている。自身のヘディング事件については「忘れてましたね」、「ボクがなぜここに呼ばれているのか、全然分からない」とギャグを飛ばした。また、散々宇野のエラーや珍プレーがVTRで紹介された後、宇野は「ちゃんとプロ野球やってきたんで」と反論のコメントをしたが、司会の江川が「大丈夫です、みんな知ってますから。(エラーで)落とした数より取った数の方がちょっと多いって」とギャグを飛ばし、宇野も「それ、すごいですよね」と返答した。 1993年6月17日の日本ハム戦(千葉マリン)では、先発投手の吉田篤史が打球を受けてベンチで手当てを受けている間、遊撃手の守備位置を離れマウンドで投球練習を開始。これを見た日本ハムの小川浩一が打席に入り、宇野の投じた球を打ち返した。打球は両手を広げた右翼手・マックス・ベナブルの頭上を越えて行き、場内が笑いに包まれる中、苦笑を浮かべた宇野は膝をついていた。 コーチ時代、2004年の落合監督初優勝の翌日、川崎憲次郎の引退試合で、1回終了後、川崎の胴上げを中日、ヤクルトの両チーム選手がしようとした時、コーチでは宇野のみが飛び出し、しばらくしてから気づいてベンチへ戻っていった。
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