王妃とともに国政掌握
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/01 07:06 UTC 版)
「ロジャー・モーティマー (初代マーチ伯)」の記事における「王妃とともに国政掌握」の解説
15歳の少年王エドワード3世が即位すると、イザベラがエドワード3世の摂政として政権を掌握。モーティマーもイザベラの寵愛を盾に権力を握り、ウェールズや辺境地域に所領を拡大し、1328年10月27日に議会においてウェールズ辺境伯(マーチ伯)の称号を受けた。 しかし彼の急速な昇進はランカスター伯ヘンリー、初代ノーフォーク伯トマス・オブ・ブラザートン(エドワード1世と後妻マーガレットの間の長男)、初代ケント伯エドムンド・オブ・ウッドストック(英語版)(同次男)ら王族に連なる諸侯の反発を招き、イザベラやモーティマーら宮廷派と、ランカスター伯らランカスター派の対立が顕在化した。 またスコットランド王ロバート1世が少年王の即位を好機とみてイングランド北部への侵攻を開始したが、軍資金の確保に苦しむイザベラとモーティマーは、戦争継続は不可能と判断してロバート1世に講和を懇願し、エディンバラ=ノーサンプトン条約(英語版)を締結した。これによりイングランドはスコットランドが独立国であることとロバート1世がスコットランド王であることを承認した。さらにエドワード3世の妹ジョーンとロバート1世の長男デイヴィッド(のちのデイヴィッド2世)の結婚が取り決められた。この講和は国内的な合意を得ないまま進められた物であったため、「屈辱外交」として国内の強い反発を招いた。 1330年春の議会ではイザベラとモーティマーの主導でケント伯が反逆罪で公開裁判にかけられた末に処刑された。しかしこの時18歳になっていたエドワード3世は、2人の独断でのケント伯処刑に憤慨していた。
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