王妃のクーデタで失脚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 14:10 UTC 版)
「エドワード2世 (イングランド王)」の記事における「王妃のクーデタで失脚」の解説
フランスでは1322年にシャルル4世が国王に即位しており、エドワード2世はサン=サルド戦争の戦後処理としてアキテーヌ領有を続けるためにアキテーヌ公としてシャルル4世に臣下の礼をとることになった。しかしエドワード2世自身は訪仏せず、名代として王妃イザベラと皇太子エドワードが訪仏した。 ところがイザベラはディスペンサー父子を追放しない限り皇太子エドワードとともにフランスに残ると言い張り、帰国を拒否した。パリにはディスペンサー父子に追放されたイングランド貴族が大勢おり、その中にウェールズ辺境諸侯の一人である初代マーチ伯ロジャー・モーティマーがいた。彼と親密になった王妃は夫を廃位して皇太子に王位を継がせる計画を立て始めた。 そして1326年9月にイザベラとマーチ伯が集めた騎士たちがイングランド東部サフォークへ上陸を開始し、ロンドンへ進軍した。嫌われ者のエドワード2世とディスペンサー親子に味方はなく、各地で王妃軍は歓迎された。ロンドン市も王妃の味方をした。エドワード2世とディスペンサー親子は逃亡したが、全員逮捕された。ディスペンサー親子は処刑され、エドワード2世はケニルワース城で幽閉の身となった。
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