王伯群
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/05 01:12 UTC 版)
王 伯群(おう はくぐん)は中華民国の政治家。名は文選だが、一般には字の伯群で知られる。護国戦争で護国軍蜂起に貢献し、後に国民政府で初代交通部長となった人物である。弟は貴州軍軍人の王文華。義理の弟(妹の夫)は軍政部長・国防部長・行政院長などを務めた何応欽。
- ^ 熊(1993)、45頁。
- ^ a b c d e f g h 徐主編(2007)、104頁。
- ^ a b c d e f g 劉国銘主編(2005)、174頁。
- ^ 熊(1993)、45-46頁。
- ^ 熊(1993)、46-47頁。
- ^ 熊(1993)、47頁。
- ^ 熊(1993)、47-48頁。
- ^ 熊(1993)、48頁。
- ^ 熊(1993)、49頁と徐主編(2007)、104頁による。劉国銘主編(2005)、174頁は「1921年9月20日」とする。
- ^ 熊(1993)、48-49頁。
- ^ 熊(1993)、49頁。
- ^ 王伯群は交通部長の傍ら、四川省の劉湘、劉文輝の抗争を調停する任務を命ぜられた。しかし劉文輝が王の随員たちに贈賄したところ、その事実を察知した劉湘の不興を買ってしまう。まもなくその王の随員がアヘン密貿易に関与していたことを劉湘に暴かれ、これが原因で王は弾劾を受けたのである。その後、王自身は実情を知らなかったとして無罪となった。熊(1993)、49-50頁。
- ^ 熊(1993)、50-51頁。
- ^ 熊(1993)、51-52頁。
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