王伾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/11 07:35 UTC 版)
王 伾(おう ひ、生年不詳 - 806年)は、唐代の官僚。二王八司馬のひとり。本貫は杭州。
経歴
はじめ翰林侍書待詔となった。正議大夫・殿中丞・皇太子侍書を歴任した。貞元21年(805年)、順宗が即位すると、王伾は翰林待詔のまま、左散騎常侍となり[1][2]、翰林学士をつとめた[3]。
王伾は韋執誼・韓泰・陳諌・柳宗元・劉禹錫・韓曄・凌準・程异らとともに王叔文の主導する改革(永貞革新)に協力した。杜佑を通じて王叔文を宰相とし、北軍を総べさせようと運動したが、許されなかった。そこで王叔文を威遠軍使・同平章事としようとしたが、やはり許可されなかった。永貞元年(同年)、憲宗が即位し、王叔文が失脚すると、王伾は開州司馬に左遷された。元和元年(806年)、配所で死去した[1][4]。
脚注
伝記資料
参考文献
- 『旧唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00319-2。
- 『新唐書』中華書局、1975年。 ISBN 7-101-00320-6。
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