程异とは? わかりやすく解説

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程异

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/10 14:20 UTC 版)

程 异(てい い、生年不詳 - 819年)は、唐代官僚政治家は師挙[1]本貫京兆府長安県[2][1]

経歴

太子左諭徳の程献可の子として生まれた[3]。父の病を看病して、郷里に孝悌で知られた。明経に及第し、海陵県主簿を初任とした。開元礼科に登第し、鄭県県尉に任じられた。官吏の職務に詳しく、判断を滞らせることがなかった。貞元14年(798年)、杜確が同州刺史となると、程异はその補佐をつとめた。貞元15年(799年)、杜確が河中尹となると、程异は引き続きその補佐をつとめた[2][1]

貞元末年、程异は監察御史に抜擢され、虞部員外郎に転じ、塩鉄転運・揚子院留後をつとめた。王叔文が度支塩鉄転運副使として永貞革新を推進すると、程异も召し出されてその改革に協力した。王叔文が失脚すると、程异も連座して岳州刺史に左遷され、まもなく郴州司馬に降格された。元和初年、塩鉄使の李巽の推薦により、程异は侍御史に抜擢され、再び揚子院留後をつとめた。検校兵部郎中となり、淮南等五道両税使をつとめた。入朝して太府寺少卿となった。太府寺卿に進んだ。衛尉寺卿に転じ、御史中丞を兼ね、塩鉄転運副使をつとめた[4][1]

ときに淮西で呉元済の反乱が起こり、国費が不足していた。元和13年(818年)閏5月、程异は江淮から銭185万貫を進上した[5]。これにより塩鉄転運使を専領し、御史大夫を兼ねた。9月、塩鉄転運使を領したまま、工部侍郎同中書門下平章事(宰相)に転じた。元和14年(819年)4月、死去した。尚書左僕射の位を追贈された。は恭といった[6][7]

子に程巽があった[3]

脚注

  1. ^ a b c d 新唐書 1975, p. 5142.
  2. ^ a b 旧唐書 1975, p. 3737.
  3. ^ a b 新唐書 1975, p. 3396.
  4. ^ 旧唐書 1975, pp. 3737–3738.
  5. ^ 旧唐書 1975, p. 2121.
  6. ^ 旧唐書 1975, p. 3738.
  7. ^ 新唐書 1975, pp. 5142–5143.

伝記資料

参考文献




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