独立派の反撃
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1816年5月、独立派の最後の拠点であったボゴタが陥落し、カミロ・トーレスら独立派活動家多数が処刑される。モリーリョの徹底的な弾圧に対する反感から非独立派の間にも独立の気運が高まった。 1819年2月15日、アンゴストゥーラで独立派の代表者会議が開催され、単一国家の樹立で合意。コロンビア共和国の創設とボリバルを大統領とすることで意見が一致した。 ボリバルは腹心の名将フランシスコ・デ・パウラ・サンタンデル将軍をコロンビアのカサナレ地方に潜入させ、サンタンデルは独立派の残党を糾合して独立軍を結成。コロンビア解放戦に備える。 同年5月23日、独立派はベネズエラのセテンタ村で会談し、モリーリョ軍との膠着状態を打開するため、アンデス山脈を越えてスペイン軍の裏をかく奇襲作戦に出ることを決定した。 独立軍はアンデスの厳しい寒さと風雨に悩まされ、多くの犠牲者を出しながらもアンデス越えに成功。ボリバル軍はサンタンデル軍と合流し、7月25日、コロンビア中部のパンタノ・デ・バルガスの沼でスペイン軍と遭遇した。ボリバルは若き大佐フアン・ホセ・ロンドンに突撃を命じ、ロンドンはわずか14名の部下を従えてスペイン軍に斬り込む捨て身の攻撃が功を奏し、独立軍はこの前哨戦で辛勝した。
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