独立混成第1旅団時代と戦死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 16:06 UTC 版)
「百武俊吉」の記事における「独立混成第1旅団時代と戦死」の解説
上記の結果、戦車隊の威力を認識できた日本陸軍上層部は、1934年(昭和9年)、日本初の本格的な機甲部隊である独立混成第1旅団を誕生させた。百武大尉も第2中隊長として加わり、九二式重装甲車隊を指揮した。 1937年(昭和12年)には朔県において10月2日に行われた万里の長城突破戦に参加し、重装甲車隊を指揮し歩兵を援護しつつ突破に貢献した。ただ、その次に行われた原平鎮の戦闘では、指揮をとった第5師団司令部が堅固な防御陣地の正面に戦車を使うという誤った運用をした上、中国側が対戦車砲を使用し始めたため苦しい戦いとなった。そして同月6日、陸軍戦車隊の礎を築いた百武大尉は戦死している。享年40。
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