特攻隊員の態度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/24 14:40 UTC 版)
当時の特攻隊は各地で編成されたが、その隊員の内訳は先ず陸軍航空士官学校を出たての57期などを隊長とし、以下に特別操縦幹部候補生および少年飛行兵を主体としたもので1隊につき10名ないし12名であった。 都城基地には出撃の予定に従って、1ないし2隊宛到着し、総攻撃の日時や天候等によって長くて10数日、短くて翌日という具合に出撃が決まっていた。この滞在期間、大部分の隊員は軍が借り上げた町中の旅館の宿舎に泊まり、余裕のある隊は飛行場で訓練を行ったが、搭乗機の整備が間に合わず殆ど訓練は行えなかったとされる。 当時、市内の住人は特攻隊員に対して尊敬の念を以て特に気を配り、女子青年団等の有志らは特攻宿舎での接待役を買って出、献身的に隊員達の世話を行った。 特攻隊員を記述したもの等で已に言い尽くされていることではあるが、隊員達は全く大悟徹底しており死を前にした者とは思えぬほどに平素と変わらない日常の態度で振る舞っていた。特に、出撃前夜は物資欠乏のため、有り合わせのご馳走を準備して壮行会を行ったが、平素、転勤等で行う送別会と一向変わりなく給仕等で動員された女子青年団員達と心から愉快そうに談笑し合っていた。 ある隊員は出撃迄の時間があったので休憩をすすめられ部屋に招かれたが、その間熟睡に至っており出撃前の整列の号令がかかった時に目をこすりながら出ていき見送る周りの人々からその豪胆さを驚嘆された。 また、ある隊員達はもう金を持つ必要がないというので所持金を一切出し合って愛国機献納の一部にと託して征った隊もあった。
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