特攻隊の発足
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1916年5月27日、カルソー少佐の部隊に属していたヴィリー・ローア大尉(ドイツ語版)は「突撃大隊配備のための指導書」と題して、従来の突撃部隊に代わる『特攻隊 (Stoßtrupp)』の創設、突撃大隊の支援を受けた新たな歩兵攻撃の戦術や、一般の歩兵連隊や歩兵大隊への特攻隊の編成を企画し、それぞれが下士官の指揮下で 4 - 8人の兵士で構成されるものとされた。マニュアルには、各特攻隊が小隊や歩兵中隊を率いて無人地帯を通り、有刺鉄線を越え塹壕に侵入、手榴弾で突撃し支援兵器の助けを借りてバンカーや機関銃を破壊する方法などが記述されていた。 ローア大尉のこの提案は、1916年版の歩兵操典に追加され、陸軍省と参謀本部により戦術に関する「1906年の演習規則」の一部を差し替え採用された。この規定が採用されたことは、新兵を直ちに塹壕戦に投入可能にすることを意味していた。 1918年の訓練指導規定では、全歩兵を突撃部隊の兵士として訓練するというルーデンドルフの公式見解が下され、この目標達成のために突撃大隊ですでに行われていたものと同様の訓練方法が記述された。これら新戦術の承認にも関わらず、第2版操典では大隊内での特攻隊の戦術については言及されていない。 ローア大尉が2年間にわたって理論的に発案した特攻隊の戦術は後に公式訓練の一部となっており、ルーデンドルフ自身は突撃部隊の戦術をすべての歩兵に適用させる方針であったが、目下兵士の大半がそれにそぐわない水準であることが1918年頃から想定された。
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