物語上の常盤とは? わかりやすく解説

物語上の常盤

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 05:56 UTC 版)

常盤御前」の記事における「物語上の常盤」の解説

以下は主に『平治物語』『義経記』による物語上の常盤の話である。したがってどこまでが事実であるか不明であるがこの物語その後文学芸術大きな影響与えたことは事実である。 常盤近衛天皇中宮九条院藤原呈子)の雑仕女で、雑仕女採用にあたり藤原伊通命令によって都の美女千人集められ、その百名の中から十名を選んだ。その十名の中で聡明で一番の美女であったという。後に源義朝側室になり、今若(後の阿野全成)、乙若(後の義円)、そして牛若(後の源義経)を産む。平治の乱義朝謀反人となって逃亡中に殺害され23歳未亡人となる。その後子供たち連れて雪中逃亡し大和国にたどり着く。その後都に残った母が捕らえられたことを知り、主であった九条院御前赴いてから(『平治物語』)、清盛元に出頭する出頭した常盤は母の助命乞い子供たち殺されるのは仕方がないことけれども子供達殺されるのを見るのは忍びないから先に自分殺して欲しいと懇願するその様子と常盤美しさに心を動かされ清盛頼朝助命決定していたことを理由にして今若乙若牛若助命したとされている。 なお、室町以降成立したとみられる義経記ならびに室町以降成立した本系平治物語においては常盤清盛よしなき心を抱き常盤に文を送って子供の命を盾に返答強要したという内容記されている(流布本平治物語』では清盛から子供の命を絶つと言われても常盤返事せず、母親説得され初め常盤返答したとある)。しかし鎌倉時代成立した平治物語においては常盤清盛から局を与えられ後に女子一人産んだとの記載があるが、それには常盤清盛の意に従う事と子供達助命因果関係記されていない古態本『平治物語』において清盛常盤男女関係となったのは子供達助命決定後の事となっている。なお、『平治物語諸本においての常盤言動は、常盤子供達姿を消した為に囚われの身になった母親助命のみに終始しており、子供達助命清盛に対して一切申し入れていない。子供達殺されるのを見るのは辛いから先に自分殺して欲しいという言動がのみが記されている。また『平治物語においては子供達助命理由清水寺観音ご加護であるという点が強調されている。 『義経記においては清盛の意に従ったがゆえに子供たちそれなりに身が立つようになった記されている。 なお、常盤逃亡談は『平治物語』にくわしいが、この物語はもともと清水寺観音信仰から生まれたものでもともとは『平治物語』とは別個の物語として存在していたものがやがて『平治物語』に組み込まれていったという見解が強い。一方義経頼朝追われた際に常盤母娘捕らえられたのも一条河崎観音堂であったことから、常盤が深い観音信仰持ち主であり、清水寺とのつながり否定できないとする見解もある。 この常盤逃避行の話はその後室町期幸若舞の『伏見常盤』『常盤問答』『笛の巻』などによって発展していくことになり、その発展ていった常盤物語よりいっそう「強い母」という面が強調されていくことになる。

※この「物語上の常盤」の解説は、「常盤御前」の解説の一部です。
「物語上の常盤」を含む「常盤御前」の記事については、「常盤御前」の概要を参照ください。

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