無罪確定後の元被告人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 09:51 UTC 版)
赤堀は1989年1月31日に釈放され、名古屋市に居を定めたが、釈放当初は健康状態が悪化しており、実社会への適応も困難であったため、1974年9月に結成された「全国「精神病」者集団」による赤堀の支援活動に加わっていた大野萌子(「全国「精神病」者集団」創設者の1人)が介護者として日常生活を手助けすることになり、以後現在まで共同生活を営んでいる。赤堀はしばらく病院への入退院を繰り返すなどしたものの、徐々に平穏な暮らしが営めるようになった。大野や他の支援者とともに死刑廃止運動や代用監獄廃止運動の集会等に参加するなど、積極的な活動を行っている。自ら見解を述べたり、シンポジウムにて発言するなどしており、袴田事件や名張毒ぶどう酒事件などの再審や、それらの事件の確定死刑囚に対する支援を訴えている。2009年5月16日、静岡県浜名郡新居町(現・湖西市)で裁判の支援者らが開いた赤堀の傘寿(5月18日生まれ)を祝う会合に出席。会合に先立って行われた記者会見では、同月21日より実施される裁判員制度について「法律を知らない一般の人に正しい判断ができるか分からず、冤罪防止の観点から反対である」との意見を表明した。裁判員制度への疑念を抱いていた赤堀であったが、2012年、自身がその裁判員の候補者に指名されるという事態を迎えた。同年10月上旬、覚醒剤取締法違反事件の裁判員裁判について、赤堀を裁判員に選任する手続きを行うための呼び出し状と質問票が名古屋地方裁判所から届いたが、裁判員法では70歳以上の高齢者は裁判員選任を辞退できる旨定められていることから、赤堀は当該規定に基づき辞退した。同年11月15日に支援者とともに記者会見し、この件について明らかにした。この席上で赤堀は取り調べの全面的な録音・録画(可視化)などが実現していないことを指摘。質問票には辞退する旨と「裁判所は信用できない」等と理由を記し、名古屋地方裁判所に返送したという。
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