無所属、立憲民主党
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2017年9月25日、希望の党が設立。9月27日夜、代表の小池百合子は、党への参加の条件について、憲法改正と安保法制への姿勢を重視する考えを示した。9月28日、民進党は希望の党への合流を決定。翌9月29日の早朝、逢坂は「無所属でやるしかない」と決断。すぐに地元の函館に戻って後援会などと会合を開き、意見を募った。同日午後、記者団に「希望の党とはどうしても合わない。できれば無所属でやりたい」と述べ、民進党本部が求める希望の党への公認申請を見送る方針を明らかにした。10月3日、枝野幸男らによって立憲民主党が結党される。同党に入党した上で、同22日投開票の第48回衆議院議員総選挙に無所属で立候補し、前田を破り4選。翌日、立憲民主党は役員会で逢坂を公示日に遡って追加公認することを決めた。 2019年1月28日、立憲民主党の政調会長に就任。同年8月24日、同党北海道連代表に就任。 2020年8月24日、旧立憲民主党と旧国民民主党は、2つの無所属グループを加えた形で合流新党を結成することで合意した。同年9月10日に行われた新「立憲民主党」の代表選挙では枝野幸男の推薦人に名を連ねた。9月26日、立憲民主党北海道連が発足。旧党道連代表の逢坂が代表に就任した。 2021年10月31日の第49回衆議院議員総選挙で、前田を破り5選。11月2日、枝野幸男がこの総選挙で立憲民主党が伸び悩んだ責任を取り、党代表を辞任する意向を表明。 逢坂が所属する党内の最大グループ「サンクチュアリ(近藤グループ)」は枝野の辞任に伴う代表選挙に向け、西村智奈美の擁立を検討していた。しかし、同グループ前会長で前衆議院議員の赤松広隆らが、経験不足などを理由に西村擁立に難色を示した。その結果、11月16日夜、国会内で会合を開き、必要な推薦人20人を確保した上で、町長と党要職経験のある逢坂を擁立する方針を決めた。逢坂はグループの要請を受け、同日、記者団に立候補する意向を表明した。11月17日、記者会見し、正式に出馬表明。11月30日の代表選挙では第1回目投票で2位となり、決選投票で泉健太に破れた。12月1日、泉は党骨格人事を発表。逢坂を代表代行に起用した。12月2日に開かれた両院議員総会で代表代行に正式就任。
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