無哲学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/02 05:45 UTC 版)
『非哲学の新たな提示(A New Presentation of Non-Philosophy)』(2004年)において、フランソワ・ラリュエルは次のように述べている。 私は非哲学者をいくつかの異なる方法で見ている。私は彼らを、必然的に、大学の科目のように、世界で生きていく上で必要とされる存在としてとらえているが、とりわけ3つの基本的な人間のタイプに関連していると考えている。彼らは分析家と政治的過激派に関係しているが、それは非哲学が精神分析とマルクス主義に近いからである。非哲学は哲学の実例を変容させることによって主体を変容させる。しかし、彼らはまた私が「唯心主義者(the spiritual)」タイプと呼ぶものとも関連している。ここで、「心霊主義者(スピリチュアリスト)」と混同しないことが不可欠である。唯心主義者は心霊主義者ではない。彼らは哲学と国家の力という、秩序と協調の名のもとで結束する二者にとっての、強力な破壊者である。唯心主義者は、哲学、グノーシス主義、神秘主義、さらには制度的宗教や政治の縁にも取り憑いている。唯心主義者は単なる抽象的かつ静寂主義的な神秘主義者ではない。彼らは世界のために存在する。静寂主義的学問が十分でない理由はここにある。というのも、人間はそれを決定する前提として世界に関係しているからである。したがって、非哲学はグノーシス主義とサイエンスフィクションにも関連している。非哲学はこれらの分野の基本的な問い、哲学にとっては全く主な関心事ではない問いに答える。例えば、「人類は救われるべきか?」「どのようにして?」等。そしてそれはまた、ミュンツァーや異端を免れたある種の神秘主義者のような唯心主義的革命家にも近い。すべてが言われ為されたとき、非哲学は実効的なユートピアの機会に他ならないのだろうか? 無哲学(sans-philosophie)の初期メンバーあるいは共感者には、2005年にL’Harmattanによって出版された論集に寄稿した下記の人物が含まれる。 フランソワ・ラリュエル(François Laruelle) ジェイソン・バーカー(Jason Barker) レイ・ブラシエ(Ray Brassier) ローラン・カラ(Laurent Carraz) ユーグ・ショプラン(Hugues Choplin) ジャック・コレット(Jacques Colette) ナタリー・ドゥプラ(Nathalie Depraz) オリヴァー・フェルサム(Oliver Feltham) ジル・グレレ(Gilles Grelet) ジャン=ピエール・フェイ(Jean-Pierre Faye) ジルベール・オトワ(Gilbert Hottois) ジャン=リュック・ランノウ(Jean-Luc Rannou) ピエール・A・リファール(Pierre A. Riffard) サンドリーヌ・ルー(Sandrine Roux) ヨルダンチョ・セクロフスキ(Jordanco Sekulovski) 後に、次の人物が多くの翻訳と新規紹介を行った。 ジョン・Ó・マオイレアルカ(マラーキー)(John Ó Maoilearca (Mullarkey)) アンソニー・ポール・スミス(Anthony Paul Smith) ロッコ・ガングル(Rocco Gangle) カテリナ・コロゾヴァ(Katerina Kolozova) アレクサンダー・ギャロウェイ(Alexander Galloway)
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