演劇教育
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1981年、理事長の福田恆存が演劇の理論書を上梓する。 その演劇観に基づいて総論、戯曲論、翻訳論、演出論、演技論などを述べる。種々の演劇学校やその他からの要望も踏まえ、教科書としても資するよう体系的に編纂する。 演劇の上演臺本を戲曲と稱し、その戯曲はせりふ、卽ち言葉によつて書かれた文藝作品である。勿論、それは役者と演出家によつて舞臺の上に生かされて初めて完成する。だからといつて戲曲は未完成の、或は粗末な文學作品だとは言へない。上演を俟たねば完成しないとはいへ、戲曲の内部に潛在しないものは、役者や演出家が如何に七轉八倒しようとも、それを舞臺の上に生かす事は出來ない。戲曲は文學作品であり、その完成に手を貸す役者や演出家の仕事は文學的行爲である。 — 醒めて踊れ──「近代化」とは何か 現在の新劇は完全な自己喪失に陥つてゐる。自分の素姓を知らないし、また知らうともしてゐない。自分が何であり、何をもつてゐるか、それを自覚してゐないし、自覚しようともしてゐない。新劇の自覚は、ただ自分が何でないか、何をもつてゐないか、それのみにかかはる。いたづらに周囲を見まはし、他の類似芸術の存在が気になつて仕方がないといふ状態である。それらの素姓や前途に想ひをいたし、その財産目録を点検して、それがいづれも何ものかであり、何ものかをもつてゐるにもかかはらず、自分だけが何ものでもなく、何ものをももつてゐないことに、大きな不安と劣等感とをいだくのである。(中略) 以上で私の新劇史診断を終る。改めて結論を述べるまでもあるまい。新劇は過去のあらゆる錯覚から解放されて、やうやく出発点に立つたのである。が、錯覚によつて生きてきたものは、錯覚を失ふことによつて不安を感じ、それを恐れて、ふたたび錯覚を求めはじめる。しかし新劇は「演劇」に直面することを避けて、「演劇」以外のものに色眼を使つてはならない。自分のうちに無いあらゆるものに気づきながら、一番手近な文学のないことに気づかぬのは奇妙である。私の主張は単純である。正統的なせりふ劇の基盤を造ること、それを措いて他にない。 — 『演劇入門』 日本新劇史概観 1993年から20年間、英国の王立演劇学校(RADA)より俳優教育担当者を招聘する。 日本の演劇界や俳優に共通言語としての演技術を学ぶ機会を提供する目的から計画される。初年度は校長のニコラス・バーターが来日し、2週間のワークショップを開催。英国の演劇界が共通して学ぶ俳優訓練が初めて日本に系統立てて紹介される。
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