滋野姓の起源とは? わかりやすく解説

滋野姓の起源

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 01:16 UTC 版)

滋野氏」の記事における「滋野姓の起源」の解説

滋野氏『尊卑分脈』には記載されておらず、吉川弘文館刊行の『日本古代氏族人名辞典』[要文特定詳細情報]によると「滋野氏は、紀(直)氏と同系氏族」とされており、紀伊国造同系の楢原氏が最初思われる『続日本紀』によれば天平勝宝元年749年)に東人が伊志臣を賜り延暦17年798年)に東人孫家訳が滋野宿禰賜り弘仁年間朝臣改めた後年海野氏嫡流称した真田氏が『寛永諸家系図伝作成際し提出した系図では、清和天皇の子貞秀親王滋野氏初代であり、その子幸恒が海野小太郎称したとしていた。しかし新井白石などに貞秀親王架空の人物であることや、滋野氏清和天皇以前現れていたことを指摘されている。その後作成した享保年間までの当主記載した真田氏系図では、初代の名前は貞元親王としている。『寛政重修諸家譜編纂の際でも真田家側は同様の主張行っているが、幕府側から貞秀親王存在や、親王の子小太郎であることが不審であるとされ、幸恒から系図書き出すこととなった。また明治時代華族における宗族制度では、滋野氏14類とされ、清和天皇の子である貞保親王の孫・滋野滋氏を祖としている。 @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}信濃滋野氏系図は、海野氏根津氏望月氏三家やその支族伝えられたもの(この時点信頼性疑問符が付く)しかなく、その多く戦国期散逸している。[要出典]戦国期生き抜き近世大名として立藩した根津氏海野氏流を自称する真田氏などの資料も、信頼性疑問視されている。検討が必要であるが、根津氏支族とされる浦野氏の浦野文書には同じ家でありながら複数系図残されており、信濃滋野氏起源系図存在する同書には永禄9年1566年)に清和天皇後胤滋野親王26浦野美濃守友久として絵馬献上した記録残され貞保親王の孫が治療のため小県郡沓掛温泉滞在した記載されている。 『続群書類従』「信州滋野氏三家系図」では、清和天皇皇子貞保親王嵯峨天皇第4皇子惟康親王の女との間に生まれた目宮王が祖とされる

※この「滋野姓の起源」の解説は、「滋野氏」の解説の一部です。
「滋野姓の起源」を含む「滋野氏」の記事については、「滋野氏」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「滋野姓の起源」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「滋野姓の起源」の関連用語

1
6% |||||

滋野姓の起源のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



滋野姓の起源のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの滋野氏 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS