満洲事変勃発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:34 UTC 版)
1931年に満州事変が勃発すると一般国民の間で排外熱と好戦熱が高まり、社会民主主義者は戦争協力になだれ込む。学校全体を巻き込むストライキや騒擾は翌年から激減する。文部省学生部は特別講義制度を自賛する。文部省学生部によると、学生らが外来思想に対する追随的・妄信的・無批判的な態度から脱却して、我が国特殊の国体、国情、国民性等に十分な考慮を払い、現実の社会問題、思想問題に対して批判的識見を持ち始めたのは特別講義制度のおかげなのだという。 満州事変後、右翼学生が国家主義を前面に掲げて団体を結成しはじめる。文部省は、右翼学生団体を主義や綱領により大別し、その分類の筆頭に、天皇中心主義を信奉し、皇道精神と日本精神の涵養と発揚に努め、国体観念を明徴させようとするものを挙げている。ほかは、国防を研究するもの、満蒙進出を図るもの、学風の堅実化を図るものである。文部省は右翼学生団体に対して左翼学生運動への対抗者として積極的に支援する。たとえば文部省学生部の帝国議会向け資料には、右翼学生団体について、おおむね研究や修養を主とする穏健なものが多く、中には特に国体観念・国民精神等を明徴にしようとする真面目な団体もあるから、一方において極左思想の激しい今日にあっては、この種の団体に対してその健全な発達を助成すべきものと思われる、と記されている。
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