湘南工科大学事件とは? わかりやすく解説

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湘南工科大学事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 09:10 UTC 版)

山本尚志」の記事における「湘南工科大学事件」の解説

山本教授として在任期間中の大半占め1986年昭和61年)から2007年平成19年)まで、湘南工科大学では大学理事会糸山英太郎理事長)と湘南工科大学教職員組合との間で「湘南工科大学事件」と呼ばれる法廷闘争続いた発端は、1986年昭和61年教授会当時組合員だった7名を含む11名の教授昇任候補者推薦決定し理事会順次昇任発令したが、組合脱退しない3名は発令され昇任しないままとなる。教職員組合側は、「組合員差別不当労働行為であると」、神奈川県地方労働委員会訴えたことに始まる。これに理事会側は見解発表し教授会は3名の推薦取り下げ決定した1991年平成3年)、組合側は「地労委申し立て理由とする不利益取り扱いである」と改め神奈川地労委救済申し立てを行う。1995年平成7年)、神奈川地労委組合側の主張認め全面救済」を命令した理事会はこれを不服として、中央労働委員会再審査申し立てる2000年平成12年中労委は、地労委命令踏襲し全面救済」の命令下した。これに対し大学理事会中労委相手取り救済命令取消求めて東京地裁提訴2002年平成14年東京地裁は、理事会提訴棄却中労委申し立てた緊急命令決定した山本はこの時、大学側として東京地裁陳述行っている)。これに対し大学理事会側は東京高裁控訴し東京地裁証言した組合員2名を懲戒解雇する。組合員2名は、同年横浜地裁仮処分申し立て2003年平成15年仮処分認められるその後法廷闘争は、2006年平成18年東京高裁が「本件懲戒解雇は被控訴人を学外放逐するためのものと評されてもやむを得ないのである」と組合全面勝利判決下したのを受け、2007年平成19年大学理事会側が譴責処分撤回することで、事件はようやく和解解決した

※この「湘南工科大学事件」の解説は、「山本尚志」の解説の一部です。
「湘南工科大学事件」を含む「山本尚志」の記事については、「山本尚志」の概要を参照ください。

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