法学者としての方向転換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 08:00 UTC 版)
「ルドルフ・フォン・イェーリング」の記事における「法学者としての方向転換」の解説
イェーリングの学術的発展に特別な寄与をしたとして特に強調されるのは、彼の法理論上の転換であろう。 未完で終わった『各発展段階におけるローマ法の精神』の初期の時点では、イェーリングは歴史学派の姿勢にのっとったシステムを提示しており、そこでは概念法学が決定的な役割を果たしている。しかし、この著作の3巻目に入るとすでに、イェーリングの視点は権利を社会学的に考察するものへと移行していく。イェーリング本人の弁によれば、ヴィントシャイトに触発されて同じ立場を採ったものであるというが、当時のドイツ法学界は、まだサヴィニーのカルト的ともいえる影響下にあった。そのため、既存の法学に対し手付かずの分野を認識し、新しいシステムを構築するようにと説く、まだ年若い教授イェーリングの試みは、既存の学派からは横目で見られていた。 彼の新しい視点は『法における目的』(Der Zweck im Recht)の中でより詳細に解説されているが、この著作も未完に終わっている。彼の見方によると、法とは、秩序をもたらし、利益衝突の機会を最小にすることで、個々人の、そして社会的な利益を守るという役割を果たす(利益法学)。『権利のための闘争』とともに、彼の知性、そして彼の個人主義的見解が色濃く表れている論文である。 しかし、彼の才能が余すところ無く発揮されているといえば、1870年に出版された『日常生活の法学』(Jurisprudenz des täglichen Lebens)であろう。)彼の講義の大部分はローマ法の問題点を扱っているが(プラクティカPraktika)、これをまとめたものが1847年初めに刊行された『判決文抜きの民法事例集』(Civilrechtsfälle ohne Entscheidungen)である。 そのほかの彼の著作としては、『占有論についての論文集』(Beiträge zur Lehre von Besitz. Jahrbücher für die Dogmatik des heutigen römischen und deutschen Privatrechts初出)、さらにこれとは別に『占有の意思』(Der Besitzwille)もあり、1891年に刊行された『国家学小事典』の中の「占有」に関する記事については、特にカール・サヴィニーによる概念を「占有」の定義とする陣営と対立して、当時大論争を巻き起こした。
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