法学者としてのキャリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:48 UTC 版)
「アフマド・カディロフ」の記事における「法学者としてのキャリア」の解説
1968年、地元の高校を経て集団農場(ソフホーズ)での労働に2年間従事する。1971年、ロシア本土に移住してシベリアのインフラ開発に参加、1980年まで同地に滞在する。シベリアから戻ると聖職者としての道に進み、神学校を経てタシケント・イスラム大学で神学を修めてイスラム宗務者の称号を得る。1986年から1988年までグデルメスの副イマームを務め、1989年に故郷である北カフカース地方に最初のイスラム大学を開校、聖職者育成を進めた。 1990年、より研鑽を深めるべくヨルダンに向かい、シャリーア(イスラム法学)についての専門的な研究に従事するが、ソ連崩壊に伴い祖国からイスラム法の専門家として招致され、帰国を余儀なくされる。帰国したチェチェンでは連邦内の自治国家に満足しない独立派と、ロシアの庇護による国家形成を望む連邦派に分かれて対立が起こっていた。1991年、独立派がロシアとの対立を含みながらチェチェン・イチケリア共和国の樹立を宣言すると、ジョハル・ドゥダエフ大統領を支持して独立派に属し、共和国副マフティーとして宗教面から政権を支えた。
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