江戸幕府での職務
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 08:16 UTC 版)
大目付は、大名・高家及び朝廷を監視して、これらの謀反から幕府を守る監察官の役割を持った。寛永9年(1632年)12月17日に、柳生宗矩・秋山正重・水野守信・井上政重の4名が任じられたのがはじまりである。また、設置当初は惣目付と称した。 当初は、石高3000石から5000石級の旗本の中から選任され、旗本の役職の中でも御側衆・御留守居・大番頭に準ずる最高位とされた。そして、旗本でありながら万石級(大名)を監視することから、その在任中は大名同等に万石級の禄高を与えられ、「○○守」の官位が叙任された。 江戸時代中期になると、従来の監察官としての色彩よりも伝令(幕府の命令を全国の大名に伝える役)や殿中(江戸城中)での儀礼官としての色彩が濃くなり、名誉職・閑職とみなされるようになり、町奉行や勘定奉行を務めた旗本が、老年になって任じられる役職となった。また、兼帯といって道中奉行・宗門改役・鉄砲改役など5つの役を兼任した。 役高は3000石で、幕府では職制上は老中の管轄支配下とされた。寛文5年(1665年)に役料制度が発足された翌年に、役高は1000俵と定められた。天和2年(1682年)に役料制度が廃止されると役高をそのまま知行高に加えられることとなった。 元禄5年(1692年)に役料制度が復活され、この時の制度では、大目付の役高は3000石と定められ、役高が3000石以下の知行者のみに700俵が支給された。 定員は不定で、家光~家綱期は3ないし2名、綱吉~家重期は4ないし3名、家治~家慶期は5ないし4名であり、掛の新設などによっても設置人数は変化した。道中奉行を兼帯する大目付は筆頭格であり、京都所司代・大坂城代等と同様に将軍を代理する立場にあった。
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