江戸川開削
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/27 15:02 UTC 版)
伊奈忠治の利根川東遷事業の一環として、下総国関宿(現在の野田市・旧関宿町)~下総国金杉(現在の北葛飾郡松伏町)~下総国庄内領宝珠花(現在の春日部市・旧庄和町)にかけて利根川の水を庄内古川の新水路に引き込む工事を18年かけて行い、現在の江戸川上流部の基礎を築いた。該当周辺地域は古来より水はけが悪く、正重は、利根川の水を庄内古川に注ぐべきだと、伊奈忠治に進言したと伝えられている (南埼玉郡制誌)。 工事の結果、江戸川の水運が発達し、関宿から江戸へ、流山のみりんや野田の醤油などの物資輸送が活発となった。皇室や将軍家への御用達品が数多く江戸へ送られた。明治時代中期に東武野田線が開通するまで、当地域では水運が主要な流通基幹となった。
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