江川崎村の設置とは? わかりやすく解説

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江川崎村の設置

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 21:25 UTC 版)

江川崎」の記事における「江川崎村の設置」の解説

1889年明治22年)、町村制の施行により、下山川崎)・江川長生西ケ方半家・用井の6合併し江川崎村成立した村役場下山宮地置かれた。たびたび洪水被害見舞われ1890年明治23年)には小島大明神流失1935年昭和10年)には中心下山大被害受けた大正期以降交通の要として発達し1913年大正2年)に土佐中村とを結ぶ郡道開通1921年大正10年)には同じく中村とを結ぶプロペラ船就航し同年には窪川村愛媛県北宇和郡吉野生村宇和島線吉野生駅とを結ぶ路線バス乗合自動車)が開通江川崎村内を通過した1932年昭和7年)頃の資料によると、の総生産は、農産が最も高く169,803円で、以下林産、工産、水産畜産続いた。特に生繭・米・桑葉用材木炭主要産品であった第二次世界大戦中には、「満州移民江川崎開拓団」として363人が満蒙開拓移民として渡ったが、7割超となる263人が戦争混乱亡くなった。無事帰郷果たした元村民も、既に土地や家は江川崎残されておらず、離村せざるを得ないなど苦難続いた戦後間もない1946年昭和21年)、村役場火災起き地籍戸籍焼失した1953年昭和28年3月26日日本国有鉄道宇和島線延長され江川崎駅開業終着駅となった1958年昭和33年)、隣接する津大村合併し西土佐村発足名として江川崎失われたが、下山江川崎改称となり、大字名として江川崎の名が残された。

※この「江川崎村の設置」の解説は、「江川崎」の解説の一部です。
「江川崎村の設置」を含む「江川崎」の記事については、「江川崎」の概要を参照ください。

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