江川崎村の設置
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1889年(明治22年)、町村制の施行により、下山(川崎)・江川・長生・西ケ方・半家・用井の6村が合併し、江川崎村が成立した。村役場は下山の宮地に置かれた。たびたび洪水の被害に見舞われ、1890年(明治23年)には小島大明神を流失、1935年(昭和10年)には村の中心・下山が大被害を受けた。大正期以降、交通の要として発達し、1913年(大正2年)に土佐中村とを結ぶ郡道が開通、1921年(大正10年)には同じく中村とを結ぶプロペラ船が就航し、同年には窪川村と愛媛県北宇和郡吉野生村の宇和島線吉野生駅とを結ぶ路線バス(乗合自動車)が開通、江川崎村内を通過した。 1932年(昭和7年)頃の資料によると、村の総生産は、農産が最も高く169,803円で、以下林産、工産、水産、畜産と続いた。特に生繭・米・桑葉・用材・木炭が主要産品であった。第二次世界大戦中には、「満州移民江川崎開拓団」として363人が満蒙開拓移民として渡ったが、7割超となる263人が戦争の混乱で亡くなった。無事帰郷を果たした元村民も、既に土地や家は江川崎に残されておらず、離村せざるを得ないなど苦難が続いた。 戦後間もない1946年(昭和21年)、村役場で火災が起き、地籍・戸籍が焼失した。1953年(昭和28年)3月26日、日本国有鉄道宇和島線が延長されて江川崎駅が開業、終着駅となった。1958年(昭和33年)、隣接する津大村と合併し西土佐村が発足、村名としての江川崎は失われたが、下山が江川崎に改称となり、大字名として江川崎の名が残された。
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