江川町組
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 00:37 UTC 版)
住矢(すみや) 7 - 9段の松。 他の衣笠と類似の外見であるが、市中の邪気を祓い清めるという大きな役割をもち、他町、同じ江川町の笠鉾よりも必ず先頭を務め、巡幸中の順路の邪気を祓い清めたあとに笠鉾が通る、田辺祭の中で特別な存在である。田辺城(錦水城)が築城する前の上野山城(現在の古尾・八立稲神社周辺)・洲崎城の城下町であった江川町が役を担う(田辺城が建てられてからも江川町は城下町とされた)。 厄を祓い清め、一年間の無事安泰を祈願する役を果たす衣笠で、右に廻ることがなく(笠鉾も同様)、一度通った道を後戻りすることもない。 恵美須 大黒天 記録には一時、恵美須と大黒天を笠鉾一基に飾っていた時代もあったようだが、昭和期〜現在は二基の笠鉾に別々におまつりされている[要出典]。 古いしきたりが残る町で、御神体の「おつくり」や着付け等は、御宿や当番町役員と決められた小数人でおこなわれる[要出典]。 江川本町、南本町(西・東)、中町(北・南)、浜路、川辺り、への丁(塀の町)の八町に分割され祭をおこなう[要出典]。 1873年(明治6年)までは「江川浦」という村であった。
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