江川紹子による指摘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 23:02 UTC 版)
「マルコポーロ事件」の記事における「江川紹子による指摘」の解説
この廃刊の決定を、阪神大震災の被災地で取材中に聞いた江川紹子は、次のように回想している。 明石市から被災地に入って、毎日少しずつ移動しながら8日目に西宮市に到着した。もちろん今回の阪神大震災の取材のためである。1月30日、今回の取材日程も最終日となった日の午後3時頃のことであった。携帯電話が鳴った。「突然ですが…」聞こえた文藝春秋社の月刊誌『マルコポーロ』のKデスクの声は暗く深刻だった。「マルコが廃刊となりました。今売られている号で最終号です。次号は出ません」「ウソでしょう。なぜ…」ユダヤ人のホロコーストを巡る記事が問題になって、ユダヤ人の団体から抗議を受けたとのこと。交渉中だったが、会社が廃刊を決め、それが産経新聞に出るという話だった。青天の霹靂とはまさにこのことだ。 江川は、統一教会やオウムを巡る報道を通じて、文春と親しく、『マルコポーロ』編集部にも、花田紀凱を始めとする知人を持っていた。 『マルコ』については、以前から休刊の噂はあった。今回の思い切った判断は、『マルコ』だったからのことではないのか。これが『週刊文春』や『文藝春秋』だったら、ろくに交渉もせずに、同じような対応をしただろうか。なにしろ今回は、役員でもない塩谷北米総局長がセンターとの交渉に当たるだけで、田中社長など役員は相手方と直接会って交渉することもせずに、結論を出しているのだ。 『マルコポーロ』が赤字であったことに加えて、事件の際、SWCとの交渉の窓口であったのが、塩谷北米総局長(当時)であったという指摘である。塩谷はまた、後述する2月2日にホテル・ニューオータニで文春とSWCが開いた共同記者会見において、田中健五の隣に席を取り、田中の発言を注視している。
※この「江川紹子による指摘」の解説は、「マルコポーロ事件」の解説の一部です。
「江川紹子による指摘」を含む「マルコポーロ事件」の記事については、「マルコポーロ事件」の概要を参照ください。
- 江川紹子による指摘のページへのリンク