求道者の報恩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/22 22:19 UTC 版)
孝養を行うということは、出家、在家を問わない。もし外に出て季節にあった美味な果物などを得たならば、持ち帰って父母に差し上げるのだ。父と母はそれを見て喜び、すぐに食べるのは忍びず、まずこれを三宝にめぐらせて感謝し、あるいは施しをするならば、すなわち無上に正しい道を求めようとする心(菩提心)がおきてくるだろう。 父と母に病があれば、その床の辺りを離れず、親しく自ら看護すべきである。親の病の癒えることを願い、常に恩に報いる心をもって、少しの間も忘れてはならない。 ただしそれだけでは十分ではなく、もし親が頑迷であり、道理にくらく、三宝を奉じようとせず、思いやりの心がなくて人を傷つけ、不義を行って物を盗み、礼儀なくして色欲にすさみ、信用なく人をあざむき、智にくらくして酒にふけっているならば、子はまさに厳しく諌(いさ)めて、そのような行いから覚め悟らせるべきである。もしそれでもなお、改めることが出来なければ、泣いて涙をもって自分の飲食を断て。そうすれば、かたくなな親であっても、子が死ぬことを恐れて恩愛の情にひかされて、強く耐え忍ぶ心を起こして道に向かうだろう。 もし親が気持ちを入れかえれば、一家全員が恵みの恩を受け、十方の神仏善男善女にこの親に対して敬愛の心を持たない人はなく、どんな悪い存在もこの親をどうすることもできないだろう。 ここにおいて父と母は現世においては安らかに穏やかに過ごし、後の世には善きところに生まれ、仏を見、法を聞いて長く苦しみを巡る輪から抜け出ることが出来るだろう。 このようにして初めて父と母の恩に報ゆる者となるのである。 さらに、父母のために贅沢な暮らしを用意すれば良いわけではない。もしまだ仏、法、僧の三つの宝を信じてもらえなかったならば、なおいまだ不幸と言わねばならない。思いやりの心があって施しを行い、礼儀正しく身を保ち、柔和な心で恥を忍び、努めて徳にすすみ、常に心を静かに落ち着け、学問に志を励ますものであっても、仏道を歩まなければ、ともすれば、誘惑に負け、堕落してしまうのである。 よって、出家者は独身で、その志を清潔にして、唯だ仏道に務めよ。よく考慮して、孝養の軽重緩急を知らなければならない。 およそこのようなことが、父母の恩に報ずることである。
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