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永井克孝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/03 08:00 UTC 版)

永井 克孝(ながい よしたか、1931年昭和6年〉9月7日 - 2014年平成26年〉6月23日)は、日本生化学者。理学博士医学博士東京大学名誉教授、理化学研究所名誉研究員。専門は糖鎖生物学[1]。妻は国文学者の永井和子

略歴

新潟県新潟市出身。1950年昭和25年)3月に新潟高等学校を卒業、4月に東京大学に入学、木村雄吉前田護郎に師事[2][3][4]1954年(昭和29年)3月に東京大学教養学部教養学科を卒業。

1958年(昭和33年)4月に東京大学伝染病研究所助手に就任、山川民夫に師事[4]1963年(昭和38年)4月に東京大学教養学部助手に就任、12月に東京大学から理学博士号を取得。

1966年(昭和41年)4月に東京大学教養学部助教授に就任、1968年(昭和43年)4月に東京大学医科学研究所細胞化学研究部助教授に就任、1974年(昭和49年)4月に東京都老人総合研究所生化学部部長に就任。

1977年(昭和52年)1月に東京大学から医学博士号を取得、1979年(昭和54年)4月に東京大学医科学研究所癌細胞学研究部教授に就任、1981年(昭和56年)5月に東京大学医学部生化学第二講座教授に就任。

1984年(昭和59年)4月に新潟大学脳研究所客員教授に就任[注 1]1991年平成3年)4月に東京都臨床医学総合研究所所長に就任[注 2]、10月に理化学研究所 国際フロンティア研究システム 糖鎖機能研究グループ ディレクターに就任[注 3]

1992年(平成4年)6月に東京大学名誉教授の称号を受称、1995年(平成7年)4月に三菱化学生命科学研究所取締役所長に就任[注 4]1998年(平成10年)3月に理化学研究所 国際フロンティア研究システム システム長に就任。

1999年(平成11年)10月に理化学研究所 国際フロンティア研究システム アドバイザーに就任。2000年(平成12年)4月に理化学研究所 研究顧問に就任、2004年(平成16年)4月に三菱化学生命科学研究所顧問に就任[注 5]

2014年(平成26年)6月23日午後9時に東京都内の病院で肺炎のため死去、82歳没。葬儀・告別式は近親者で行った[5]

業績

糖脂質生理活性に関する研究や、糖鎖を介した細胞外リン酸化酵素の発見などで、細胞生物学に大きな影響をもたらし、世界における糖鎖生物学のリーダーの一人となった[6][7]

表彰

栄典・賞

称号

著作物

著書

  • 『脂質』野島庄七[共著]、朝倉書店〈医学・生物学のための有機化学 4〉、1969年。

編書

  • 『生化学ハンドブック』井村伸正大島泰郎・黒川正則・三浦謹一郎・水島昭二[共編]、丸善、1984年。
  • 『続生化学実験講座 第5巻 免疫生化学研究法』大沢利昭[共編]、東京化学同人、1986年。
  • 『レセプターの化学』野沢義則・林恭三[共編]、化学同人〈化学増刊 110〉、1987年。
  • 『新生化学実験講座 第3巻 脂質I 糖タンパク質(上)』鈴木旺・山科郁男・大沢利昭・木幡陽[共編]、東京化学同人、1990年。
  • 『新生化学実験講座 第4巻 脂質III 糖脂質』牧田章・脊山洋右[共編]、東京化学同人、1990年。
  • 『新生化学実験講座 第3巻 脂質I 糖タンパク質(下)』鈴木旺・山科郁男・大沢利昭・木幡陽[共編]、東京化学同人、1990年。
  • 『新生化学実験講座 第3巻 脂質II プロテオグリカングリコサミノグリカン』鈴木旺・山科郁男・大沢利昭・木幡陽[共編]、東京化学同人、1991年。
  • 『生命-「もの」と「かたち」』木村雄吉[著]、金子務[共編]、学会出版センター、1991年。
  • 『グリコバイオロジーシリーズ 1: 糖鎖の多様な世界』木幡陽・箱守仙一郎[共編]、講談社、1993年。
  • 『グリコバイオロジーシリーズ 2: 糖鎖の細胞における運命』木幡陽・箱守仙一郎[共編]、講談社、1993年。
  • 『グリコバイオロジーシリーズ 3: 細胞社会のグリコバイオロジー』木幡陽・箱守仙一郎[共編]、講談社、1993年。
  • 『グリコバイオロジーシリーズ 6: グリコパソロジー』木幡陽・箱守仙一郎[共編]、講談社、1993年。
  • 『グリコバイオロジーシリーズ 5: グリコテクノロジー』木幡陽・箱守仙一郎[共編]、講談社、1994年。
  • 『グリコバイオロジーシリーズ 4: グリコジーンとその世界』木幡陽・箱守仙一郎[共編]、講談社、1994年。
  • 『糖鎖 I. 糖鎖と生命』東京化学同人、1994年。
  • 『糖鎖 II. 糖鎖と病態』東京化学同人、1994年。
  • 『糖鎖 III. 糖鎖の分子設計』東京化学同人、1994年。
  • 『生命のかたち 木村雄吉の学問と思策』木村雄吉・ほか[著]、金子務[共編]、学会出版センター〈人と学問選書〉、2004年。

監修書

  • 『未来を拓く 糖鎖科学』川嵜敏祐・伊藤幸成・木曽真・鈴木明身・谷口直之・成松久・長谷純宏・古川鋼一・小川智也・楠本正一[編]、金芳堂、2005年。

論文

脚注

注釈

  1. ^ 1993年平成5年)3月に退任。
  2. ^ 1995年(平成7年)3月に退任。
  3. ^ 1999年(平成11年)9月に退任。
  4. ^ 2004年(平成16年)3月に退任。
  5. ^ 2006年(平成18年)3月に退任。

出典

  1. ^ 永井克孝氏が死去 東京大名誉教授: 日本経済新聞
  2. ^ 生化学者の無教会派 永井克孝兄へのオマージュ金子務公式サイト
  3. ^ 財団ニュース』平成26年度第1号、4頁。
  4. ^ a b JSCR Newsletter』第18巻第2号、17頁。
  5. ^ 新潟日報』2014年7月1日付朝刊、33面。
  6. ^ 財団ニュース』平成26年度第1号、3頁。
  7. ^ JSCR Newsletter』第18巻第2号、17頁。『基礎老化研究』第38巻第3号、61頁。
  8. ^ 藤原賞受賞者 - 藤原科学財団
  9. ^ 「褒賞」『官報』号外第208号、18頁、大蔵省印刷局、1994年11月4日。
  10. ^ 「叙位・叙勲」『官報』号外第237号、3頁、財務省印刷局、2002年11月5日。
  11. ^ 「叙位・叙勲」『官報』第6340号、9頁、国立印刷局、2014年7月28日。
  12. ^ 『生命のかたち―木村雄吉の学問と思策 (人と学問選書)』著者略歴 - Amazon

参考文献

関連文献

外部リンク

学職
先代
大沢利昭
日本生化学会会長
第37代:1987年9月 - 1988年10月
次代
沼正作
先代
今堀和友
三菱化学生命科学研究所所長
第4代:1995年4月 - 2004年3月
次代
関谷剛男
先代
(新設)
日本糖鎖科学コンソーシアム会長
初代:2004年2月 - 2010年5月
次代
川嵜敏祐
前回
齋藤國彦
日本医用マススペクトル学会会頭
第6回:1981年
次回
林陽
前回
瀬川富朗
日本神経化学会大会長
第34回:1991年
次回
田中亮


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