水鳥の羽音について
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平氏撤退に関しては以下のような逸話が有名である。その夜、武田信義の部隊が平家の後背を衝かんと富士川の浅瀬に馬を乗り入れる。それに富士沼の水鳥が反応し、大群が一斉に飛び立った。『吾妻鏡』には「その羽音はひとえに軍勢の如く」とある。これに驚いた平家方は大混乱に陥った。『平家物語』や『源平盛衰記』はその狼狽振りを詳しく描いており、兵たちは弓矢、甲冑、諸道具を忘れて逃げまどい、他人の馬にまたがる者、杭につないだままの馬に乗ってぐるぐる回る者、集められていた遊女たちは哀れにも馬に踏み潰されたとの記載がある。事実がどのようなものであったかは不明ではあるが、平家軍に多少の混乱があったものと推察される。 平家方は恐慌状態に陥った自軍の混乱を収拾できず、忠清は撤退を進言した。総大将の維盛もこれに同意し、平家方は総崩れになって逃げ出した。遠江国まで退却するが、軍勢を立て直すことができず、全軍散り散りになり、維盛が京へ逃げ戻った時にはわずか10騎になっていた。 水鳥のエピソードは、太平の世で戦に不慣れとなっていた平家の軟弱さを示すものとして知られるが、軍記物語の『平家物語』や『源平盛衰記』はもちろん、『吾妻鏡』の記述は誇張、ないしは虚構で、水鳥の羽音を敵襲と誤認したのではなく、水鳥の羽音で敵の夜襲を察知し、迎撃の準備ができていなかったので撤退したという見方もある。また、戦力差を考慮して水鳥の羽音とは関係なく撤退を決めていたとの見方もある。 この水鳥の羽音に関する各本の異同を一覧にすると以下のようになる。 『源平盛衰記』…日付なし、平家軍は水鳥の羽音に驚き慌てて逃げ去る。 『平家物語』…10月23日、平家軍は水鳥の羽音に驚き慌てて逃げ去る。 『山槐記』…10月19日、平家軍は水鳥の羽音に驚き、自ら陣営に火を放って撤退した。 『吾妻鏡』…10月20日、平家の諸将は包囲されるのを恐れていたところに水鳥の羽音がしたので撤退した。 『玉葉』…10月18日、羽音の記述はない。開戦前に平家側数百騎の兵が源氏に逃亡したため平家は撤退をした。 『吉記』…日付不明、羽音の記述はない。敵の軍勢が多いのをみて撤退した。撤退時に敵からの放火と疑われる火災が起こり、それにより混乱があった。 なお、『玉葉』のみ源氏の総指揮官を武田信義としている。また、『吉記』は開戦前に官軍に対して使者が送られたが使者を送った元が頼朝か武田か不明としている。
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