毛沢東の「和尚打傘」とは? わかりやすく解説

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毛沢東の「和尚打傘」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 16:12 UTC 版)

エドガー・スノー」の記事における「毛沢東の「和尚打傘」」の解説

スノー下記誤解によって、晩年毛沢東イメージ誤って伝えてしまった。 1970年12月18日スノー毛沢東との会談において、毛沢東自分のこと「和尚打傘」形容した。和尚坊さん)は、髪がない(無髪)、打傘(傘を差す)は、天が見えない(無天)であり、「髪」と「法」はほぼ同音である。すなわち無髪無天wú fā wú tiān≒無法無天wú fǎ wú tiānであり、法律無視天理道徳)も無視する。「無茶苦茶やりたい放題」というzh:歇後語(けつごご)(シャレ一種)である。つまり、毛沢東は、「自分はやりたい放題好き勝手をやってきた男さ」と言ったのである。 しかし、通訳唐聞生(ナンシー・タン)は、この慣用表現身につけるべき青年時代アメリカで過ごしていたために、この歇後語を理解できず、文字通り「私は傘をさした坊さんです」と誤訳してしまった。それをスノー思い入れたっぷりの「私は破れ傘を手に歩む孤独な修道僧の意味の"I am a lonely monk walking the world with a leaky umbrella"にしたのである。 この誤解は、会談掲載したアメリカ雑誌ライフ1971年4月30日号)によって、世界中広まり晩年毛沢東イメージとして定着してしまった。世界人々は「ああ、毛沢東と言えば新中国帝王のような人だが、その心のなかをのぞけば無人枯野一人とぼとぼ歩む行脚僧のように孤独なのだ」と理解したのである実際1976年9月毛沢東死んだとき、朝日新聞の「天声人語」(1976年9月11日)は、「晩年の(毛沢東主席スノー氏に『自分破れがさを片手歩む孤独な修道僧にすぎない』ともらした言葉は、この不世出革命家内面を知る上で実に印象的だ。」と記している。

※この「毛沢東の「和尚打傘」」の解説は、「エドガー・スノー」の解説の一部です。
「毛沢東の「和尚打傘」」を含む「エドガー・スノー」の記事については、「エドガー・スノー」の概要を参照ください。

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