毛沢東における遊民論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/26 16:07 UTC 版)
1926年に毛沢東が発表した論文による定義では、遊民とは農村における無産階級に属し、ルンペンプロレタリアートとも呼ばれる、不安定な生活を送っている人々であった。マルクス主義理論からも軽視あるいは敵視されるこの階級に対して、毛沢東はそれとは反対に「非常に勇敢に戦うことができるので、良い指導を得れば革命の勢力にかえることができる」「断じて彼らを敵側へ走らせてはならない」という従来とは反対の評価をし、実際にその後の根拠地建設において、遊民は赤軍の主要な構成者の一つとなり、積極的な役割を果たした。石平によると中国共産党が人民に対して残虐な行為をしていたのは、元々社会から排斥された立場に置かれていた遊民による、社会に対する恨みや報復心からであるとのことである。
※この「毛沢東における遊民論」の解説は、「遊民」の解説の一部です。
「毛沢東における遊民論」を含む「遊民」の記事については、「遊民」の概要を参照ください。
- 毛沢東における遊民論のページへのリンク