毛沢東の死と四人組の逮捕
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「二つのすべて」の記事における「毛沢東の死と四人組の逮捕」の解説
1976年9月9日午前零時、中華人民共和国建国以来、中国をリードし多くの人々を良くも悪くも翻弄し続けた巨星・毛沢東が82年の生涯を閉じた。 毛の突然の死は、不可避的に巨大な変動の始まりを暗示した。毛の死により中国中央の権力闘争は一段と激しいものになった。「四人組」は江青の党主席ポスト獲得を始め、積極的に巻き返しを図った。 しかし、これを阻止しようとする「反四人組連合」が急速に形成された。華国鋒ら文革派穏健グループ、李先念ら周恩来系の中間派官僚グループ、王震ら復活幹部グループ、葉剣英ら軍長老グループである。この中で葉剣英が、華の後ろ盾(後見人)の役割を担った。 毛の死後一週間目にあたる9月16日「人民日報」は「毛主席は永遠に我々の心の中にある」と題する社説を発表した。ここでは文革路線の継承とそれにふさわしい後継者を定めることが提起され、「既定方針に従い行動せよ。」と唱えられていた。「既定方針」とは「四人組」からのシグナル・ワードであった。10月4日、「光明日報」に梁効(「四人組」のペンネーム)論文「永遠に毛主席の既定方針に従って実践しよう」が掲載された。 これを「四人組」の攻撃間近と受け止めた「反四人組連合」は、10月6日先手を打って反撃に出た。まず中南海の懐仁堂において、王洪文、張春橋、姚文元を逮捕し、江青、毛遠新らを自宅で逮捕した。わずか小1時間で一挙に「四人組」を権力の座から引きずり降ろしたのである。
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