毎週「金8枠」放送へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 14:01 UTC 版)
「日本プロレス中継」の記事における「毎週「金8枠」放送へ」の解説
1968年1月19日(22時15分から放送)と1月26日放送分(20時から放送)の視聴率が、『TWWAプロレス中継』よりも下回ったため、日本テレビは同年2月16日限りで「ディズニーランド」を『三菱ダイヤモンドアワー』枠(金曜20時台枠)から離脱させ、同年2月23日から『三菱ダイヤモンドアワー』枠をプロレス中継のみとすることを緊急会議で決定した。これに伴い同年2月16日を最後に、隔週金曜22時台の45分枠が廃止され、同年2月23日から、毎週金曜日20時にプロレス中継が定着する。 1968年11月22日、大学紛争の影響で日本プロレスの後楽園ホールでの興行が中止されたため、日本テレビ旧麹町本社社屋に在った第10スタジオにリングを設置してスタジオテレビマッチを開催した。 1969年3月 - 4月、グレート東郷による新団体設立を阻止すべく、日本プロレスが日本テレビに対してNET(現・テレビ朝日)における日本プロレスの中継放送開始を打診。日本テレビは、NETでの放送に対して「ジャイアント馬場及び坂口征二の試合を放映しない」「ワールド大リーグ戦の試合を放映しない」「 インターナショナルヘビー級選手権試合およびインターナショナルタッグ選手権試合を放送しない」ことを条件付に日本プロレスの中継放送を許可する。 1969年7月2日からNETにおいて、『NETワールドプロレスリング』が水曜21:00 - 21:56(1970年4月に月曜20:00 ~ 20:56に移動すると同時に坂口の出場試合も放送解禁)の時間帯で開始。前述の通り日本テレビはNETとの2局間協定で、ジャイアント馬場と坂口征二の試合や、ワールドリーグ戦などのビッグマッチの放映権は維持した一方で、アントニオ猪木と大木金太郎の試合は前述のビッグマッチ以外は、原則NETテレビに移行されることになった(ワールドプロレスリング#日本プロレス中継時代も参照)。 1969年途中(正式年月日不詳)、『プロレスリング中継』から『日本プロレス中継』に番組タイトルを変更。
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