毎日新聞社との関係について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 01:57 UTC 版)
「スポーツニッポン」の記事における「毎日新聞社との関係について」の解説
スポーツニッポンは、毎日新聞の僚紙的位置付けとして創刊した。毎日グループ企業として位置付けられるのはこのためであり、現在東京本社以外の拠点は全て毎日新聞の地域本社・支社・本部等に置かれており、2011年4月1日から毎日新聞社と経営統合し、「毎日新聞グループホールディングス」傘下となった。 戦後の混乱期、用紙難からGHQは既存新聞社の増紙を認めない一方、新興新聞社には出来る限り用紙を割り当てる政策を採った。既存新聞社はこの政策を逆手に取り、ダミー子会社を設立して新興紙を多く創刊した。毎日新聞系としては「東京日日新聞」「サン写真新聞」(東京)、「東海毎日新聞」(名古屋)、「新大阪」「新関西」(大阪)、「新九州」(門司)といった新聞があった。 一方で、毎日新聞大阪本社の有志がこの動きとは別にスポーツ振興を旗印としてスポーツ新聞の創刊を企画した。これがスポニチである。スポニチは毎日新聞社の後援はあったものの、上記毎日新聞のダミー子会社ではなく比較的独自の発展を遂げた。 ダミー子会社の発行する新聞は、その後用紙規制緩和に伴う毎日本紙の増紙と夕刊発行復活で存在意義が無くなり、「東海毎日新聞」は廃刊(毎日の名古屋再進出に伴う事実上の本紙吸収)。「サン写真新聞」も休刊し「新大阪」は毎日から独立、残る3紙もスポニチに吸収される形になった。 「東京日日新聞」は戦前存在した同名紙の復刊といった触れ込みだったが、毎日本紙夕刊と競合したため朝刊に転身したものの休刊。印刷工場(のちの東日印刷)にはスポニチ東京本社編集局が設けられた。 「新九州」(1946年(昭和21年)4月8日創刊、1950年(昭和25年)3月6日朝刊紙に転向)も、スポニチ西部本社の発足と入れ替わるように休刊した。
※この「毎日新聞社との関係について」の解説は、「スポーツニッポン」の解説の一部です。
「毎日新聞社との関係について」を含む「スポーツニッポン」の記事については、「スポーツニッポン」の概要を参照ください。
- 毎日新聞社との関係についてのページへのリンク