殿中御掟追加5か条
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永禄13年(1570年)1月23日、信長が殿中御掟9か条を制定した後も義昭はこれを守ることをしなかった。そこで信長は新たに殿中御掟追加5か条を示した。 諸国へ御内書を以て仰せ出さる子細あらば、信長に仰せ聞せられ、書状を添え申すべき事 御下知の儀、皆以て御棄破あり、其上御思案なされ、相定められるべき事 公儀に対し奉り、忠節の輩に、御恩賞・御褒美を加えられたく候と雖も、領中等之なきに於ては、信長分領の内を以ても、上意次第に申し付くべきの事 天下の儀、何様にも信長に任置かるるの上は、誰々によらず、上意を得るに及ばず、分別次第に成敗をなすべきの事 天下御静謐の条、禁中の儀、毎時御油断あるべからざるの事 現代語訳 諸国の大名に御内書を出す必要があるときは、必ず信長に報告して、信長の書状(副状)も添えて出すこと。 これまでに義昭が諸大名に出した命令は全て無効とし、改めて考えた上でその内容を定めること。 将軍家に対して忠節を尽くした者に恩賞・褒美をやりたくても、将軍には領地がないのだから、信長の領地の中から都合をつけるようにすること。 天下の政治は何事につけてもこの信長に任せられたのだから、(信長は)誰かに従うことなく、将軍の上意を得る必要もなく、信長自身の判断で成敗を加えるべきである。 天下が泰平になったからには、宮中に関わる儀式などを将軍に行って欲しいこと。 この追加5か条は、前年の16か条よりはるかに厳しい内容であった。4条目については将軍を傀儡とした信長による独裁を行おうという姿勢が示されているともてれるが、追加5か条の提示後も幕府内での織田家の影響力は一部に留まっており、信長による独裁を意図した意味があったのかは疑問の声もある。義昭が5か条を遵守した形跡もない。また、後述のようにむしろ信長の方が室町幕府の秩序の中に統制されたとする解釈も出されている(詳細は後述)。
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