殿上の肝試し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 01:43 UTC 版)
「 花山院が藤原道隆・道兼・道長の3兄弟に、「道隆は豊楽院へ、道隆は仁寿殿の塗籠へ、道長は大極殿へ行け」と言いつけた。2人の兄は途中で逃げ帰ったが、道長だけは平然と大極殿へ行き、証拠として高御座の南面の柱の下を少しだけ削り取って帰った。 」 —「大鏡」現代語訳 この話は創作だという説がある。論拠として花山天皇の在位期間中(984年 - 986年)、藤原道隆は30代前半、道兼は20代中盤、道長は20歳前後と、肝試しをするには少々老けすぎていたことが挙げられる。
※この「殿上の肝試し」の解説は、「高御座」の解説の一部です。
「殿上の肝試し」を含む「高御座」の記事については、「高御座」の概要を参照ください。
- 殿上の肝試しのページへのリンク