武芸図譜通志
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武芸図譜通志 | |
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二刀をもった兵士。二刀剣術も十八技の一つである。
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各種表記 | |
ハングル: | 무예도보통지 |
漢字: | 武藝圖譜通志 |
発音: | ムイェドボトンジ |
日本語読み: | ぶげいずふつうし |
武芸図譜通志(ぶげいずふつうし)は、朝鮮王朝(李氏朝鮮)で編纂された兵書。
概要
正祖の王命で、壮勇営(チャンヨンヨン)の殺手(槍剣術)の武官である、白東脩(ペク・ドンス)が主導して編纂した。この書は、従来の銃兵器の解説や、戦略・戦術理論を中心に書かれたものとは違い、絵や文章を通して、戦闘時の動作(型)を一つ一つ丁寧に説明したものである。拳法を始め、弓術や馬術、槍術、剣術などの朝鮮の武芸十八般(十八技、シッパルギ)などが、全4巻24項目にわたって詳細に解説されている。それぞれの項目は武芸諸譜以来のものであり、24技のうち中国武術起源が21、日本武術起源が2、朝鮮伝来とされるものが1である。この書を送りだした白東脩は、同時代の学者たちから、「武から文を起こした」と高く評価された。
この原書は、現在、水原華城(スウォンファソン)博物館に展示してある。
参考文献
- Wikipedia英語版[出典無効]
関連項目
武芸図譜通志
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 23:39 UTC 版)
「武芸図譜通志」も参照 1790年に正祖の命で、武芸新譜を基に編纂されたものが『武芸図譜通志』である。 この時代には老論派内部でも、絶頂期にあった清の経済力と高い文化を認めた「北学派」があらわれ、実学の風潮が更に高まっている。 内容は『武芸新譜』の十八技に、「騎槍」「馬上月刀」「撃球(打毬)」などの中国馬上技(唐の時代にペルシャから伝わった可能性あり)、六技を加えた二十四技からなっている。 『武芸新譜』から続いて掲載されたうちで特筆されるのは、「倭剣譜」「交戦譜」と「本国剣」である。 武官金体乾は倭館に出入りして剣術を習得、更に1682年に徳川綱吉の将軍就任を祝賀して粛宗が派遣した朝鮮通信使にも随行し、「土由流」「運光流」「千柳流」「柳彼流」を学んだという。これに拠ったものが「倭剣譜」「交戦譜」であるが、金体乾が学んだという流派名は存在せず、実際は何流であるか判別していない。図譜の内容も日本剣術の正確さの検証はされていない。 「本国剣」は新羅時代の花郎を起源とする伝統剣術とされているが、明代の『武備志』に掲載された「朝鮮勢法」の写しであることがわかっている。
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