武芸新譜
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1759年に英祖の命で荘献世子が編纂させたものが『武芸新譜』である。1728年の戊申の乱(李麟佐の乱)で大規模反乱を経験した英祖が、軍隊の強化を図るために官修を命じたものである。内容は『武芸諸譜』の六技に中国武術や日本武術からの11技、そして朝鮮伝来と称する「本国剣」の合わせて十二の技術を加えたもので、ここに十八技が完成した訳である。
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武芸新譜
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1759年に英祖の命で荘献世子が編纂させたものが『武芸新譜』である。原本が散逸したため、『武芸図譜通志』での説明以外は詳細不明。 18世紀の朝鮮は、派閥抗争を制した、「崇明排清」を理念とする老論派が主導した。この時代、小中華思想による影響から自国文化の見直しが図られたが、「実学」の機運も高まっている。この風潮に合わせて、1728年の戊申の乱(李麟佐の乱)で大規模反乱を経験した英祖が、軍隊の強化を図るために官修を命じたものである。内容は『武芸諸譜』の六技に「竹長槍」「鋭刀」「提督剣」「拳法」「鞭棍」などの中国武術を九技、「倭剣」「交戦」の二技を日本武術から、そして朝鮮伝来と称する「本国剣」が載せられていたという。 なお、ここで挙げられた「交戦」とは、日本武術でいうところの組手を図譜で解説したものである。中国武術とそれを基にした朝鮮では、一人で鍛錬する、日本でいう「型」の取得が基本で、これを熟達させることで相手を上回ることを目指すものであった。
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