欧州連合条約まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 10:03 UTC 版)
1975年6月12日、ギリシャは民主政へ復帰したことを受けて共同体への加盟希望を表明し、1981年1月1日に加盟が実現した。ギリシャに続いてやはり民主政に復帰したスペインとポルトガルも1977年に共同体への加盟希望を表明し、1986年1月1日に両国は同時に加盟した。1987年にはトルコが正式に共同体への加盟を申請し、協議が続けられているが未だ加盟は実現していない。 その後も拡大が見込まれ、また協力分野を広げたいという考えがあったことから単一欧州議定書が加盟国の外相によって、1986年2月17日にルクセンブルク市において、同月28日にハーグにおいてそれぞれ調印された。この議定書では機構改革や権限の拡張、外交政策における協力、単一市場について扱われ、1987年7月1日に発効した。単一欧州議定書は欧州連合条約に関する作業に影響を与え、1991年12月10日に合意に達し、その翌年に調印された。そして1993年11月1日、欧州連合条約が発効し、欧州連合(英略称:EU)が発足した[要出典]。 欧州連合は欧州経済共同体を3つの柱の1つとして内部に組み入れた。欧州経済共同体の対象とする活動分野は欧州共同体とされ、その超国家的な機構は残された。欧州経済共同体の諸機関は欧州連合における機関とされ、一部はその名称が改められたが、他方で欧州司法裁判所、欧州議会、欧州委員会は残り2つの柱に対して関与の余地が限られており、これらの機関は欧州共同体の分野に比べて政府間主義的なものとして機能することとなった。2009年にリスボン条約が発効したことによりこの3つの柱体制は廃止され、共同体自体も消滅した
※この「欧州連合条約まで」の解説は、「欧州経済共同体」の解説の一部です。
「欧州連合条約まで」を含む「欧州経済共同体」の記事については、「欧州経済共同体」の概要を参照ください。
- 欧州連合条約までのページへのリンク