機関銃の普及と軽機関銃の登場
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「軽機関銃」の記事における「機関銃の普及と軽機関銃の登場」の解説
19世紀末に登場した当初の機関銃は、現在の分類では重機関銃に相当するもので、基本的には要塞・陣地における防御兵器として位置づけられていた。当時のヨーロッパ諸国は短期決戦を志向して、攻撃に偏重した編制・装備を採択しており、機関銃が消費する膨大な銃弾を部隊の前進にあわせて補給することの困難さもあって、日露戦争で猛威を奮った後ですら、当初は必ずしも積極的に装備化されたわけではなかった。 しかし第一次世界大戦において塹壕と鉄条網に代表される陣地戦が展開されるようになると、機関銃は飛躍的に重要性を増すことになった。陣地攻撃に先立つ入念な準備砲撃でも防御側の機関銃を完全に撲滅することは困難で、そしてたった1挺の機関銃でも旅団規模の突撃をも食い止めることができた。この結果、塹壕によって防護された機関銃は戦線膠着の最大の原因となった。 機関銃の火線のなかで歩兵が陣地攻撃を行う場合、従来のように集団で前進するのでは機関銃の好餌となることから、部隊を細分化して散開し、地形・地物を利用しながら前進する必要がある。このような疎開隊形では、歩兵の突撃による戦闘力は著しく低下することから、歩兵部隊にも機関銃を配備してこれを補うことが構想されるようになった。しかし従来の機関銃(重機関銃)は三脚などの大掛かりな銃架に据え付けられて運用されるため、安定した連続射撃や高精度の遠距離射撃が可能である反面、その名の通りに重く搬送の手間がかかり、小銃兵とともに迅速に前進するような攻撃的な運用には向いていなかった。このため、攻撃部隊とともに前進できる軽量な機関銃として登場したのが軽機関銃である。 最初の軽機関銃とされるのがマドセン機関銃だが、当初は軽量さを評価したロシア帝国陸軍が騎兵用機関銃として採用したのみであった。攻撃的に運用するための軽機関銃という点ではフランス軍のFM mle1915軽機関銃が嚆矢であり、1916年のソンムの戦いから本格的に使用されるようになったほか、翌年に採択された戦闘群戦法の基盤にもなった。またイギリス軍も新開発のルイス軽機関銃を装備化した。一方、ドイツ陸軍では、MG08重機関銃を元に銃架を外して二脚をつけたMG08/15を装備化した。 これらの軽機関銃の登場によって、攻撃時には軽機関銃は火力の中心となり、重機関銃がこれを支援するのに対し、防御時には重機関銃が火力の骨幹となり、軽機関銃がその間隙を埋め、そして攻防ともに小銃がこれら2種類の機関銃を援護するという、現代まで続く歩兵小部隊戦闘の基本が形成されることになった。 FM mle1915軽機関銃 ルイス軽機関銃
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