遠距離射撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 02:05 UTC 版)
1890年代の海戦では、海戦を決するのは中程度の口径(主に6インチ (152 mm))を持つ比較的短射程の速射砲であった。海軍の砲術は、目標を遠距離から砲撃するにはまだあまりにも不正確だった。近距離ではより軽い砲の方が正確さで勝っており、速射砲の高い発射率は、目標に関して大量の弾丸を投射することを可能にした。1894年の日清戦争の黄海海戦では、勝利した日本海軍は距離が3,900 mを切るまで砲撃を開始せず、しかも大部分の戦闘は距離2,000 mで行われた。 1900年代初期には魚雷の射程が増加を見せ、イギリス、アメリカ両国の海軍首脳は、将来の戦艦はより遠距離で交戦することになると予想した。1903年にアメリカ海軍は射程4,000ヤード (3,700 m) の魚雷を発注した。イギリス、アメリカ両海軍の首脳は、より遠距離で敵と交戦する必要があると結論づけた。1900年、イギリス海軍の地中海艦隊司令長官のサー・ジョン・「ジャッキー」・フィッシャー提督は、6インチ (152 mm) 砲による6,000ヤード (5,500 m) での砲術訓練を命じた。1904年には、アメリカの海軍大学校は、7,000 - 8,000ヤード (6,400 - 7300 m) の射程を持つ魚雷の戦艦戦術に対する影響を研究していた。 軽量の中口径砲の威力は限られており、遠距離射撃ではその正確さは著しく減少した。また遠距離では高い発射率の利点も減少した。正確な射撃を行なうには、その前に行った斉射の着弾位置を観測することが必要であり、発射率が高ければ良いというものでもなかった。 20世紀初頭、大口径砲の有効射程は増加した。これは1904年までに砲術訓練によって確立され、1905年の日本海海戦において、実戦で裏付けられた。
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