橋本駅までの開業とは? わかりやすく解説

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橋本駅までの開業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 02:27 UTC 版)

京王相模原線」の記事における「橋本駅までの開業」の解説

橋本駅周辺の土地取得問題土地収用法適用をもって解決し1990年3月30日南大沢駅 - 橋本駅間が開業し相模原線全通した1968年工事着工から22年目のことだった。翌年には快速列車橋本駅から都営新宿線本八幡駅までの直通運転始め神奈川県北部から千葉県を結ぶ東西大動脈となった。これにより都心への玄関口となった橋本駅乗降人員は、1990年から1997年にかけて2倍に増えた橋本駅まで開通した翌年1991年4月6日には、多摩境駅開業した多摩境駅設置にあたっては、地元からの「請願駅」という扱い京王負担極力抑えている。多摩境駅周辺は「多摩ニュータウン相原小山土地区画整理事業」が施行されているが、京王小田急施行区域内を先行買収しており、多く土地所有していた。この地域では開発より前から土地売りたいとする地権者多く多摩ニュータウン側から土地を買うように要請受けてのことだった。 なお、多摩境駅開業全線開業より後になったのは理由があった。ニュータウン新線において建設費などに補助金が出るのはニュータウン範囲内だけでなく、ニュータウン範囲外でもニュータウン居住者利用する場合において、ニュータウン範囲次の駅までが補助金対象になる取り決めになっている多摩境駅多摩ニュータウン区域内にあるものの、当初事業認可未了となっている区域であったため、この取り決めにおけるニュータウン範囲として扱うのは難しかった。つまり、そのまま橋本駅多摩境駅同時に建設すると、多摩境駅ニュータウン範囲次の駅として扱われてしまうことから、橋本駅までの補助金出ないことになってしまうのである。そのため、ニュータウン範囲次の駅を終点橋本駅にして、橋本駅までの建設補助金当てようしたためであった同じよう事例過去にも北大阪急行緑地公園駅にあった)。 橋本より先の橋本 - 相模中野間については、用地取得難しいことや用地費、工事費高騰などにより、京王単独での建設が非常に困難であるとして、1988年3月京王免許返上した。したがって津久井湖までの延伸かなわず相模原線多摩ニュータウン住民相模原市民の足として定着することになった多摩境駅開業をもって若葉台駅から多摩境駅にかけての多摩ニュータウン内の全駅開業となり、1991年多摩境駅開業時15万人だった多摩ニュータウン人口は、13年後の2004年20万人突破した

※この「橋本駅までの開業」の解説は、「京王相模原線」の解説の一部です。
「橋本駅までの開業」を含む「京王相模原線」の記事については、「京王相模原線」の概要を参照ください。

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