橋本首相による海上ヘリポート構想の表明
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「普天間基地移設問題」の記事における「橋本首相による海上ヘリポート構想の表明」の解説
嘉手納案が消えた際、次に守屋達が考えたのが陸上から離れ、米軍の使用水域を活用したキャンプ・シュワブ沖の活用案であったと言う。 海上に移設する案は造船業界が1996年夏頃から根回しをはじめた。アメリカ側でも嘉手納案などが暗礁に乗り上げたためそのデッドロックを解くため解決策を模索し、ペリー国防長官、キャンベル国防次官補代理、モンデール駐日大使等が集まった会合で最終確認され、軍部の了解を取り付けた、本案はこのような根回しを経て9月13日のSACO作業部会でアメリカ側から提案されたが、まだ水面下での動きであった。日経新聞は橋本が8月頃、自らQIP工法(下記別項で詳述)の採用を提案したと報じている。当初は秘書官室止まりの話に過ぎなかったが、少数の官邸スタッフで練った上でアメリカ側に非公式に打診した。アメリカ側は検討の上提案の形で日本側に回答したのだと言う。なお、防衛庁はこの時点で兵員輸送や住宅など陸上の付属施設の点で難題が多いと慎重姿勢だったと言う。 船橋洋一によれば根回しを行ったキャンベルが一週間もの時間を要したため、事前に提案を知らされていた橋本は「米側決定に時間がかかりすぎるのでイライラしていた」という。そのようになった背景として船橋は下記を挙げている。船橋は「軍がらみの問題はホワイトハウスには上げるなとの暗黙の圧力があった」と言う米政府高官の言葉も紹介している。 クリントン政権の軍嫌悪 大統領選挙中に難題を抱えたくないというクリントン政権の思惑 事態が急展開したのは再び橋本の発言によってであった。橋本は9月17日、沖縄での講演にて海上ヘリポート構想について明らかにした。以降、この発想が世間一般でも広く知られるようになった。 なお、ヘリポートの位置であるが、これも当初からキャンプ・シュワブ沖と明言があったわけではない。しかし、新任の防衛庁長官であった久間章生は、1996年11月16日「現在地からそう遠くてもいけない。騒音問題もある。キャンプ・シュワブ沖合がかなり有力になるのではないか」と述べている。 1996年12月2日にはSACO最終報告が提出された。その中で「代替施設となる海上ヘリポートの機能としては1,300メートルの撤去可能な滑走路を備えることを挙げている。
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