横穴式石室について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/17 14:24 UTC 版)
駄ノ塚古墳の埋葬施設は凝灰質の泥岩の切石で造られた、奥室、前室、羨道がある複室構造の横穴式石室である。石室は墳丘の南側に造られており、全長は7.76メートルで、石室の再奥部は墳丘中央よりも約15メートル南側にあり、横穴式石室の奥部が墳丘中央に達していない。これは山武地区では長大な横穴式石室を造る伝統がなかったことと、そもそも石室の材質である凝灰質の泥岩が強度的に弱く、長大な石室を造ることが困難であったためと考えられる。 石室の高さは約2メートルあり、幅は床面では1.3-1.5メートル、天井部になると0.7-0.8メートルと、持ち送り構造となっている。石室を造る際には石の裏側に粘土で裏込め作業を行い、石材によっては長方形の一辺を切り、その部分に石を組み合わせる切り組み手法を採用し、石室の天井石の間には石の間を埋めるためと石同士を密着させるために粘土が詰められるなど、石室の強度を強化する工夫が見られるが、それでも横穴式石室の築造時ないしは古墳の埋葬が行われている最中に奥室が崩壊を起こしたため、いったん墳丘を掘り下げて補修作業が行われたことが明らかになっている。 羨道の床面には粘土が敷かれ、前室と奥室の床面にはチョウセンハマグリを中心とした貝殻が敷かれていた。チョウセンハマグリは外洋性のハマグリであり、駄ノ塚古墳に近接する九十九里浜で採集されたものと考えられる。房総半島の古墳の中には石室内に貝殻を敷く古墳があり、なぜ貝殻を敷いたのかは不明であるが、防湿のために敷いたとの仮説が唱えられている。 横穴式石室の羨道からは、石室の閉塞石が検出された。閉塞石の外側は土砂で塞がれていたが、発掘の結果、駄ノ塚古墳では追葬が複数回行われ、その都度閉塞石外側の土砂と閉塞石を取り除き、追葬終了後に埋め戻されていたことが明らかとなった。 駄ノ塚古墳は石室前庭部から検出された陶磁器片から、近世になって盗掘が行われたと考えられている。盗掘者は羨道上部に盗掘坑を設け、石室内に侵入しており、副葬品や被葬者の人骨は盗掘の結果その多くが散逸した。盗掘後の埋め戻しと盗掘の際の石室破壊の結果発生したと考えられる奥室の崩壊によって、駄ノ塚古墳の石室に大量の土砂が流入することになった。
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