森鴎外による日本語訳
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日本においては森鷗外による典雅な擬古文訳が名高く、「原作以上の翻訳」と評された。鴎外は本作のドイツ語訳を読み、「わが座右を離れざる書」として愛惜していた。ドイツ留学より帰国後に、『舞姫』を発表し、軍務の傍ら丹精を込め、明治25年から34年(1892~1901年)の約10年がかりでドイツ語版から重訳、断続的に雑誌『しがらみ草紙』などに発表した。初刊版「即興詩人」は、明治35年(1902年)に春陽堂(上・下)で刊行。日本近代文学館で名著複刻全集が出されている。 『鴎外訳 即興詩人』岩波文庫(上・下)。ワイド版も刊 『即興詩人』ちくま文庫版「森鴎外全集 10」。旧版は筑摩書房版「全集」 『即興詩人』岩波書店版「鴎外全集 第2巻」 当時は言文一致の流れから日本語の口語体が完成しつつある時期であったが、鴎外は敢えて雅俗折衷の流麗な文語体で綴っている。ただし、それは必ずしも直訳ではなく、西洋の故事に由来する表現を中国古典の表現に置き換えるなどの技巧を凝らしている。 なお、ダンテ『神曲』の題名(原題直訳では「神聖喜劇」)は、鴎外が『即興詩人』の一章で「神曲、吾友なる貴公子」と訳したものが定着したものである。
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