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森喜作

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/16 07:39 UTC 版)

もり きさく
森 喜作
生誕 (1908-10-04) 1908年10月4日
群馬県山田郡桐生町(現・桐生市
死没 (1977-10-23) 1977年10月23日(69歳没)
香港
研究分野 農学
出身校 京都帝国大学農学部卒業
博士論文 シイタケ生産の基礎的研究
主な業績 シイタケの人工培養法の発明
影響を
受けた人物
西門義一
主な受賞歴 有栖川宮賞(1948年)
発明賞(1951年)
藍綬褒章(1953年)
紫綬褒章(1960年)
紺綬褒章(1962年)
従四位勲二等瑞宝章(1977年)
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森 喜作(もり きさく、1908年明治41年)10月4日 - 1977年昭和52年)10月23日)は、群馬県桐生市出身の農学者農学博士)。森式純粋培養菌種駒製造法の発明者で、現在の原木シイタケ栽培技術を確立した。森産業株式会社創業者。歴史学者の羽仁五郎は叔父。

生涯

1908年明治41年)、群馬県桐生市の素封家・森家の次男として生まれる。桐生中学校宇都宮高等農林学校を経て1935年昭和10年)京都帝国大学農学部を卒業。

大学在学中に大分県を訪れた際、シイタケの発茸を祈る農夫の姿を見てシイタケ栽培の研究を決意(後述)、大学卒業の翌年に森食用菌蕈研究所を設立して研究を開始した。1942年(昭和17年)森式純粋培養菌種駒製造法を開発し、翌1943年(昭和18年)に特許を取得した。同年株式会社森農場を設立し、1946年(昭和21年)には森産業株式会社に改称した。

この発明により1948年(昭和23年)有栖川宮賞、1951年(昭和26年)発明協会発明賞1953年(昭和28年)藍綬褒章を授与された。

その後もマッシュルーム栽培の菌床に不可欠な馬糞を人工的に代替する研究に成功し、1960年(昭和35年)には紫綬褒章を授与された[1]

研究者・実業家として自身の開発した技術の普及に努め生産量の向上に寄与するとともに、日本椎茸農業協同組合連合会会長にも選任されて干し椎茸の輸出の推進に取り組み、シイタケに関する栄養学的研究と知見の啓蒙にも功績を残した[2]

また群馬銀行上毛新聞社取締役や群馬県公安委員長も務めた[3][4]

1977年(昭和52年)に研究調査に赴いた香港で客死[3]。戒名は大威徳院殿高勲喜道作宝大居士、墓所は桐生市東久方町天台宗大蔵院[4]。没後に桐生市名誉市民として顕彰されている。

純粋培養菌種駒法

森が大学在学中に、大分で農夫がほだ木に向かい「なばよ出てくれ」と祈る姿を見てシイタケ栽培法の研究を決意したという逸話は、小学校6年生の国語の教科書でも取上げられる逸話となった[5][6]

森が目にした栽培法は、切り出した原木に目をつけ、天然の胞子が偶然付くのを待つという、近世以前から行われていた方法で、きわめて投機性が高いものであった。近代以降は人工的に菌を接種する方法も試みられてきたが、成功率は高くなく、鉈目式から転換は進んでいなかった[7]

昭和初期に別の原木から木片を切り出して移植する「埋ぼた法」が成功率の高い方法として広まりを見せていたが、林業試験場の北島君三により純粋培養菌の接種の方が発生量が多く培養期間も短いことが確認され、北島は純粋培養鋸屑種菌法の普及を試みた[8]。他方、森は1935年(昭和10年)にシイタケ菌の4極性を確認・発表した大原農業研究所の西門義一の指導を仰ぎシイタケ栽培の研究を開始した[9]1942年(昭和17年)に森が開発した方法は、楔形の木片に菌を純粋培養し種駒とし、これを木に打ち込むというもので、鋸屑による接種よりも簡便であった[10]。翌年森は特許を取得し、種駒法を現地試験した大分県では鉈目式や鋸屑法よりも良好な成績を出し、大分椎茸組合が種駒法の採用を推奨したことにより生産量を大きく向上させた[10]

年譜

顕彰

森喜作賞
  • しいたけ等きのこ類の調査・研究及び普及等に顕著な功績のあった者並びにしいたけ等きのこ類の栽培の優良経営者に対して贈られる賞[26]

主な著作・論文

著作

  • 『しいたけ健康法』光文社、1974年
  • 森喜作、森登喜子『家庭きのこ 作り方・食べ方』家の光協会、1974年。ISBN 978-4-259-53352-6 
  • 『シイタケのつくり方』農山漁村文化協会、1982年。 ISBN 978-4-540-74015-2 

論文

  • 「礫耕キュウリにおける疫病の発生」日植病報 (1963)
  • 「礫耕キュウリ疫病に関する研究 第1報 病原菌の培養液中における遊走子のうの形成」日植病報 (1965)
  • 「れき耕栽培のウリ類疫病の生育中薬剤防除」日植病報 (1967)
  • 「れき耕キュウリの疫病防除に関する研究」静岡農試研報 (1968)

家族

  • 曾祖父・森宗五郎 - 弘化2年(1845年)5月19日生[27]。桐生に生まれ家業の織屋を継ぐが、綿糸問屋の経営を始めて支社を東京に設け、東京にいることが多かった[27][3]荒木寛畝と親しく、自身と父母の肖像画を描かせている[27]群馬県会議員[27][3]。1898年(明治31年)7月29日没[27]
    • 祖父・森宗作 (2代) - 初名・善之助、隠居後は宗久を称した[28][3]。文久3年(1863年)3月13日生[28]下野国足利郡足利町に篠崎由兵衛の次男として生まれ、桐生の森宗五郎の入婿となり跡を継いだ[28][3]。渡良瀬川水力電気株式会社を創立[3]、第四十銀行頭取[29]。桐生町会議員を務め勲六等瑞宝章叙勲、藍綬褒章受章[28]。1932年(昭和7年)5月12日東京・順天堂病院で没[28]
      • 父・森宗作 (3代) - 初名・晋一郎。1884年(明治17年)8月3日の生まれで群馬銀行監査役、桐生商工会議所会頭などを務めた[30]県立桐生工業学校設立のための寄付により紺綬褒章受章[31]。1955年(昭和30年)5月20日没[30]
        • 兄・森正雄 - 1906年(明治39年)12月16日の生まれ[32]。桐生商工会議所副会頭[33]、桐生市議会議員[32]
      • 叔父・森順治郎 - 経済学者、九州帝国大学教授[27]
      • 叔父・森平三郎 - 繊維物理学者、山形大学学長。
      • 叔父・篠崎芳郎 - 医学博士[27]
      • 叔父・羽仁五郎 - 歴史学者。

脚注

  1. ^ 藪 1974, pp. 117–120.
  2. ^ 中村 1983, pp. 468–469.
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 『群馬県人名大事典』上毛新聞社、1982年11月1日、527頁。doi:10.11501/12189010 (要登録)
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 森喜作年譜”. 森喜作追悼録刊行委員会『森喜作追悼記録 きのこ博士を偲んで』. 森喜作記念顕彰会|一般財団法人日本きのこ研究所 (1979年10月23日). 2025年5月15日閲覧。
  5. ^ 藪 1974, pp. 25–32.
  6. ^ しいたけのさいばい」『国語教科書』(PDF)大日本図書株式会社、1961年2月、101-107頁http://www.kinoko.or.jp/pdf/memorial_002.pdf 
  7. ^ 中村 1983, p. 449.
  8. ^ 中村 1983, pp. 457–459.
  9. ^ 中村 1983, pp. 461–463.
  10. ^ a b c d 中村 1983, p. 467.
  11. ^ a b c d e f g h i j 藪 1974, p. 303.
  12. ^ a b c 桐生市史編纂委員会 1961, pp. 735–737.
  13. ^ a b c d e 藪 1974, p. 307.
  14. ^ a b 藪 1974, p. 304.
  15. ^ 桐生市史編纂委員会 1961, p. 1015.
  16. ^ 桐生市史編纂委員会 1961, p. 1018.
  17. ^ a b c d e 藪 1974, p. 308.
  18. ^ 森喜作 (1962年3月27日). “シイタケ生産の基礎的研究”. 京都大学. 2018年10月28日閲覧。
  19. ^ a b c 藪 1974, p. 305.
  20. ^ 藪 1974, p. 306.
  21. ^ 藪 1974, pp. 41–45, 308.
  22. ^ 藪 1974, pp. 45–46, 308.
  23. ^ 中村 1983, p. 469.
  24. ^ 桐生市名誉市民
  25. ^ 中村 1983, p. 470.
  26. ^ 森喜作記念顕彰会 | 一般財団法人日本きのこ研究所”. kinoko.or.jp. 2025年5月15日閲覧。
  27. ^ a b c d e f g 群馬県議会図書室 編『群馬県議会史』 別巻、群馬県議会、1966年12月15日、475頁。doi:10.11501/3025553 (要登録)
  28. ^ a b c d e 桐生市史編纂委員会 1961, pp. 915–918.
  29. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2025年5月12日閲覧。
  30. ^ a b 桐生市史編纂委員会 1961, pp. 918–919.
  31. ^ 桐生市史編纂委員会 1961, p. 1016.
  32. ^ a b 桐生市史編纂委員会 1961, p. 352.
  33. ^ 桐生市史編纂委員会 1961, p. 660.

参考文献

  • 桐生市史編纂委員会 編『桐生市史』 下巻、桐生市史刊行委員会、1961年12月25日。doi:10.11501/3024355 (要登録)
  • 藪孝平『きのこの巨人 森喜作』富民協会、1974年7月5日。doi:10.11501/12263101 (要登録)
  • 中村克哉『シイタケ栽培の史的研究』東宣出版、1983年2月28日。doi:10.11501/12641252ISBN 4-88588-006-8 

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