梧竹堂書話
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梧竹堂書話(ごちくどうしょわ、1931年、中林梧竹)は、海老塚四郎兵衛(『書聖梧竹と書の鑑賞』の著者)と梅園方竹(宮内省の書家)が中林梧竹の書論を編集し、昭和6年(1931年)に出版したもの。梧竹は晩年の書道観の集大成として書論をまとめて出版しようとしていたらしく、明治43年(1910年、梧竹84歳)の頃には100冊の原稿がほぼ完成していた。しかし、刊行を待たず逝去し、その後その原稿は行方不明となり、これとは別に発見された数冊の原稿が本書である。よって文章の配列も体系的ではないが梧竹の人生観・芸術観に立脚した論説であり、書論ではあるが人生教訓ともなり得る内容となっている。本書冒頭に総序として、「凡そ書に法無きものは、もとより論ずるに足らざるなり。法ありて法に囿せらるるものも、また未だ可ならざるなり。有法よりして無法に帰し、法なくして法あるは、いわゆる神にして化するもの、これを上となす。」とある。これは、書法は大切だがそれにとらわれてはいけない。作意や書法の目立つうちはまだ本物ではない、との論旨であり、この境地は書の理想であり名人芸について述べたものである。また、「筆意を漢魏に取り、筆法を隋唐に取り、これに帯ばしむるに晋人の品致を以てし、これに加うるに日本武士の気象を以てす。これ吾が家の書則なり。」とあり、さらに、「古人を奴する者は少なく、古人に奴せらるる者は多し。能く古人を奴するに至っては則ち書もまた不朽の盛事なり。」とある。古典を手本にするにしても、一生古人の模倣に終わってはならない。奴書を警戒し個性豊かな書作が必要であると強調している。
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