板碑とは
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 23:31 UTC 版)
「下里・青山板碑製作遺跡」の記事における「板碑とは」の解説
板碑(いたび)は、日本の中世に多数造立された、板石製の塔婆(卒塔婆)である。一般的な形態は、頂部を山形(三角形)に形作り、その下を2条の水平線で画し、その下には仏・菩薩を象徴する種子(梵字)、真言、偈(げ)、年記などを刻む。種子とは梵字(サンスクリット文字)1字で仏・菩薩を象徴的に表したもの。真言とはサンスクリットの「マントラ」の訳語で、仏の真実の言葉を表す呪文。偈とは仏・菩薩の徳を讃える韻文である。板碑は、主として武士層が追善供養や逆修供養(生前に死後の安楽を祈って建立する)を目的に造立したもので、13世紀から16世紀末までの間に作られ、南北朝・室町時代にもっとも多く作られるが、17世紀には消滅する。唐突に消滅した理由は明らかではない。 年記のある日本最古の板碑は、埼玉県熊谷市須賀広にあった嘉禄3年(1227年)銘の阿弥陀三尊板碑である(熊谷市立江南文化財センター保管)。板碑は日本各地に造立されたが、関東地方では緑泥石片岩製(青石)の武蔵型板碑と、筑波地方に産する黒雲母片岩を素材にした下総型板碑が主なものである。青石で作った板碑は関東地方を中心に約5万基が確認されている(発掘調査の進展により、6万基に達するとの説もある)。うち27,000基が埼玉県内に所在する。 本遺跡の所在地である埼玉県小川町には1,000基を超える板碑が存在する。このうち最古の年記を有するのは木呂子太子堂の阿弥陀三尊種子板碑で、建長(1249 - 1256年)の銘がある。町内に現存する板碑でもっとも時代が下るのは、天正8年(1580年)銘のものである。
※この「板碑とは」の解説は、「下里・青山板碑製作遺跡」の解説の一部です。
「板碑とは」を含む「下里・青山板碑製作遺跡」の記事については、「下里・青山板碑製作遺跡」の概要を参照ください。
- 板碑とはのページへのリンク