東洋の国王とは? わかりやすく解説

東洋の国王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 19:50 UTC 版)

国王」の記事における「東洋の国王」の解説

元来漢字「王」は、殷・周王朝君主の称号として使われた。周王天下世界)を治め諸侯は周の封建制の下で国(領地)を治め「公」を称した春秋時代に周が衰微し、有力諸侯群雄割拠の時代になって周王のみが王を名乗った戦国時代になると、各国君主「王」名乗った以降は、「王」はもはや天下ではなく領地(国)を治め領主認識されるようになった。そのため、中華世界統一した秦王の政は「王」号を廃し皇帝」号を作り自ら称することになった始皇帝)。それに続く漢も「皇帝」を君主号として使用した三国時代東晋十六国時代五代十国時代など皇帝乱立する時代はあったものの、最後の王朝清まで、中国では「皇帝」が至上君主号であった日本では古来から君主をさすものとして「キミ」が用いられヤマト王権君主にはオオキミ称号用いられており、これは「大王」と漢字当てられている。また対外的には漢委奴国王や倭国王として封じられ倭の五王のように、中華政権から国王として冊封されたものもいる。天武天皇期より君主には天皇称号を「皇帝」に相当する称号として使用してきた。また「王」称号は、皇族称する称号として残った一方で中華政権から冊封を受け、南朝懐良親王征夷大将軍足利義満が「日本国王」を称した事例があるが、これは外交上の称号過ぎず国内で公式に用いられることはなかった。江戸時代においては中華政権との正式な国交はなく、江戸幕府将軍朝鮮との外交上では「日本国大君」の称号用いた。ただし正徳期新井白石提案一時的に日本国王」の号を用いている。 君主国内向けには「国王」と自称してない場合も、中国の皇帝との関係上、対外的称する外交称号として用いられ事例がある(日本征夷大将軍ベトナム太上皇など)。琉球以外の日本では制度上国王という位が設けられことはないが、天皇指して国王、王と呼ぶ例は軍記物語などの文献広く見られる。これは、「国王」ないし「王」が、元来一般に君主意味することによるのである

※この「東洋の国王」の解説は、「国王」の解説の一部です。
「東洋の国王」を含む「国王」の記事については、「国王」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「東洋の国王」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「東洋の国王」の関連用語

1
2% |||||

東洋の国王のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



東洋の国王のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの国王 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS