東欧公演→第3回ソ連公演 ‐佐々木)とは? わかりやすく解説

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東欧公演→第3回ソ連公演 (松川‐山下‐舟田(勝)‐佐々木)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 08:25 UTC 版)

ロイヤルナイツ (ボーカルグループ)」の記事における「東欧公演第3回ソ連公演松川山下舟田(勝)‐佐々木)」の解説

1968年5月25日横浜港出港(バイカル号)、5月28日モスクワ到着し、「ジャパン・デー」(5月25-8日)に参加。それから国境越え5月29日ブカレスト公演(於「コングレス・ザール」=コングレス・ホール、3千人収容)を皮切りに6月9日までルーマニア公演(全7回)。→6月10日19日ハンガリー公演(ブダペスト「キス・スタジアム」、3万人収容3回)。→6月20日25日ユーゴスラビア(ベオグラード、ティバート)公演。そして再び国境西からソ連入りし、ソチヤルタオデッサエレバンなど各地6月26日8月下旬まで公演当初ソ連公演32回の予定だったが44回にふえたため、8月15日までの予定だった日程大幅に後にずれ込み帰国9月となった東欧公演は、約20回の予定だったが、実際に16となったまた、最初チェコスロヴァキアポーランド東ドイツ公演候補地入っていたが、政情不安を理由取りやめとなった第3回ソ連公演中現地ゲスト出演したラジオ番組が、21世紀YouTube上にアップされていた。『ムズィカーリヌィ・グローブス』(Музыкальный Глобус)の第49回司会男性アナウンサーはヴィクトル・タタールスキー(ロシア語版英語版)。舟田均の日本語山下健二ロシア語による挨拶入っている。内容から1968年夏にモスクワ収録されたものであることがわかる。また、ソ連入りして約1ヶ月半以上、とロシア語紹介されていることから、モスクワ日程終盤組まれていたことがわかる。また、今回公演では、ソ連の歌から新たに『チェレムシーナの花』(Черемшина、ウクライナ民謡)と『優しさ』(Нежность、パフムトワ(Пахмутова)作曲)をレパートリー加えていたことが語られる番組中の歌は、「枯れ木の下で」(日本語)、ロシア民謡夕べの鐘』(Вечерний звон)(ロシア語)、ソ連歌謡Будь со мной(『我と共に留まれ』、ババジャニャン(Бабаджанян)作曲)(1番がロシア語2番日本語)、『今夜踊ろう』(日本語)の計4曲。

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