東欧公演→第3回ソ連公演 (松川‐山下‐舟田(勝)‐佐々木)
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1968年。5月25日に横浜港を出港(バイカル号)、5月28日にモスクワに到着し、「ジャパン・デー」(5月25-8日)に参加。それから国境を越え、5月29日のブカレスト初公演(於「コングレス・ザール」=コングレス・ホール、3千人収容)を皮切りに、6月9日までルーマニア公演(全7回)。→6月10日-19日ハンガリー公演(ブダペスト「キス・スタジアム」、3万人収容、3回)。→6月20日‐25日ユーゴスラビア(ベオグラード、ティバート)公演。そして再び国境西からソ連入りし、ソチ、ヤルタ、オデッサ、エレバンなど各地で6月26日‐8月下旬まで公演。当初、ソ連公演は32回の予定だったが44回にふえたため、8月15日までの予定だった日程も大幅に後にずれ込み、帰国は9月となった。 東欧公演は、約20回の予定だったが、実際には16回となった。また、最初はチェコスロヴァキア、ポーランド、東ドイツも公演候補地に入っていたが、政情不安を理由に取りやめとなった。 第3回ソ連公演中、現地でゲスト出演したラジオ番組が、21世紀のYouTube上にアップされていた。『ムズィカーリヌィ・グローブス』(Музыкальный Глобус)の第49回、司会の男性アナウンサーはヴィクトル・タタールスキー(ロシア語版、英語版)。舟田均の日本語、山下健二のロシア語による挨拶が入っている。内容から、1968年夏にモスクワで収録されたものであることがわかる。また、ソ連入りして約1ヶ月半以上、とロシア語で紹介されていることから、モスクワが日程終盤に組まれていたことがわかる。また、今回の公演では、ソ連の歌から新たに『チェレムシーナの花』(Черемшина、ウクライナ民謡)と『優しさ』(Нежность、パフムトワ(Пахмутова)作曲)をレパートリーに加えていたことが語られる。番組中の歌は、「枯れ木の下で」(日本語)、ロシア民謡『夕べの鐘』(Вечерний звон)(ロシア語)、ソ連歌謡Будь со мной(『我と共に留まれ』、ババジャニャン(Бабаджанян)作曲)(1番がロシア語、2番が日本語)、『今夜は踊ろう』(日本語)の計4曲。
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